格差是正のために、どこまで市場原理を修正すべきか ?

独自のデータ分析で「格差」論ブームを起こしたピケティ氏(Wikipediaより:編集部)

ピケティ・ブーム以来、格差に関する論考が増えているようです。
雑誌等でも「ワーキングプア問題」「老後破産」「結婚格差」等々、格差に対するネガティブな記事が頻繁に掲載されています。

格差が引き起こす問題として、治安の悪化や人心の荒廃というようなマクロ的な面もありますが、個人の問題として次のような例が考えられます。

貧乏なパン売りの少年がいました。
10個の売れ残りのパンがあり、飢えに苦しんだ人が最後の100円を支払って1個買おうとしました。そこへやってきたお金持ちが1個あたり200円で10個全てのパンを買いたいと申し出ました。
お金持ちは、そのパンを自宅の庭にやってくる小鳥の餌にするつもりです。

貧乏なパン売りの少年はお金持ちに売れ残りのパンを全てを買ってもらう決断をするでしょうし、私たちはそれを責めることはできません。その日のきつい労働から解放され、余分にもらった1000円で暖かい夕食が食べられるのです。

経済学的に言えば、同じ商品であれば高く売れた方が間違いなく効率が高くなり、少年が余分にもらった1000円が消費されることで景気も良くなります。

このように、市場原理に委ねておいたのでは飢えた人たちにパンが行き届かない恐れがあるので、市場原理を修正して政府が再分配をするのです。もっとも、今の日本で問題なのは相対的貧困なので、貧困に陥って餓死することはまずありません。「物質的には昔より豊かになっているから我慢しろ」という意見が出る所以(ゆえん)です。

しかし、子供の教育格差は、従来に比べてはるかにはるかに拡大しているのです。

私は1970年代に少年時代を過ごしましたが、当時は小学校や中学校のクラスの同級生のほとんどが何らかの習い事や補習塾に通っていました。県立の普通科の高校ではほぼ100%の生徒が大学を受験をし、男子生徒の半数以上は県外で浪人生活をして再起を期していました。相対的に豊かとは言えない家庭でも、2人の息子を別の都府県の大学や予備校に通わせていました。

こういうことが可能だった原因として、習い事や私塾の月謝が安く、公立高校の教師がわずかな補習代金で夏休みに補習をするなど、受験のための教育費が安価であったことと、大学の授業料が桁違いに安かったことによるものでしょう。

聞くところによると、某県の公立高校では浪人生用の学級が常設されており、高校教師が浪人生の面倒まで見ていたそうです。また、大家族制がある程度残っていたことから、住宅ローン負担のない家庭が多かったのかもしれません。

ところが昨今では、習い事や塾の費用が高騰し、公立高校の教師たちによるボランティアも激減し、大学の授業料が高騰してしまったので、私の同級生で地元に帰った友人たちは子供を大学に進学することすら困難になりました。家から通える国立大学であっても厳しいそうです。

昔は勉強部屋がなかったり家にエアコンのない生徒の学習スペースとして、公立図書館が大活躍していました。今では自習禁止だそうで、予備校などの自習室を利用できない生徒にとっては学習スペースすら確保できないのが実情です。

もちろん、教育的に恵まれた人々は昔から多く存在しました。
かの故鳩山邦男氏の同級生だった人が「別荘にも自宅と同じ法律の本があり、家庭教師として弁護士を雇っているので環境が違いすぎて勝負にならない」というような趣旨のことを某雑誌で書いていたのを記憶しています。おそらく、鳩山兄弟は小さい時から優れた教育環境を与えられていたのでしょう。

しかし、育った家庭が貧乏であっても、公立学校教師によるボランティアなどのインフラを利用して難関大学に合格した生徒はたくさんいますし、鳩山邦夫氏よりも優秀な成績を収めた(普通の家庭出身の)学生がたくさんいたはずです(鳩山氏は駒場で一番というだけで、法学部の成績は伝説にもなっていません)。

現代の子供の相対的貧困で最も憂慮されるのは「学力格差」でしょう。親に相応の資力がなければ絶対に歯科医師になれませんし(国公立の歯学部はほとんどありません)、医師になるのも困難でしょう。幸いにして地方の国立大学に入学できても、都会の一流大学のように一流企業に就職することは極めて困難です。

競争相手が親の資力というフィルターで絞られてしまうので、一流大学の学生の質も相対的に低下しているそうです。結果として、国や社会を前進させる推進力となる人材が少なくなり、社会全体が疲弊していきます。

CEOや取締役の年俸が高額過ぎるから格差が生じるという説もありますが、日本では上位1%が半分以上の富を独占するような状態には至っていません。日本の「格差問題」の最大のポイントは、底辺の引き上げが困難になっているという点だと私は考えます。

かつて、故サッチャー英元首相が”お金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちになりません”と述べました。サッチャリズムを擁護するつもりはありませんが、上を叩くのではなく下を改善することが今の日本の最重要課題でしょう。特に、子供たちに十分な学習機会を与えることは急務であり、最も重要な政策だと思っています。


編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年3月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。