きょうで東日本大震災から6年である。マスコミも飽きたのか、ほとんど特別な報道をしなくなったが、原発事故の後遺症はまだ続いている。特に「風評被害」で被災者が9万人も帰宅できず、「汚染水」に騒ぐマスコミのおかげで廃炉作業は難航している。
こうした不毛な作業のコスト21.5兆円はほとんど国民負担になるが、野党もマスコミも批判しない。だが次のような質問の答は、6年前と今では大きく変わった。
- 放射線障害が出ていないのに「風評被害」に東電が賠償すべきなのか?
- 1ミリシーベルトまで「除染」しなくても盛り土すればいいのではないか?
- 「汚染水」は薄めて流せばいいのではないか?
- 原子炉から「デブリ」を取り出す必要があるのか?
いずれも事故直後には、質問することさえタブーだった。2011年3月17日に「福島第一原発はチェルノブイリにはならない」と断定したニューズウィークの私の記事は大きな(否定的な)反響を呼んだが、今も修正する必要はない。しかしAERAの「放射能がくる」という特集は、今は恥ずかしくて読めない。
原発について予備知識のなかったマスコミが、初期に大げさに報道したのはやむをえなかった。民主党政権が「政治主導」で過剰反応したのも、彼らの頭が悪かったからとばかりはいえない。しかし6年たって答は明らかだ。それをきちんと総括しないことが、豊洲で同じパターンの空騒ぎが繰り返される原因である。
小池知事は原発事故のときのように「ゼロリスク」で支持率を上げようとしているが、それは周回遅れの政治的詐欺だ。水質汚染は放射能と違って、70年代の公害問題で騒がれて科学的な環境基準が厳格に決まったので、豊洲の土壌汚染が人体に無害であることは明らかだ。さすがの朝日新聞も、ネットでは中西準子氏の記事を載せるなど、小池知事に距離を置いている。
マルクスは「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は笑劇として」と書いた。20日の百条委員会で「小池劇場」も終わるだろう。それは東京都民が猿より賢いかどうかが問われるときだ。