日銀の「出口戦略」で物価はコントロールできるか

池田 信夫

最近あちこちでFTPL(物価水準の財政理論)が話題になるが、初期に浜田宏一氏のふりまいた「消費税の増税をやめたら景気がよくなる」という類の誤解はなくなったようだ。シムズの理論は景気対策ではなく、債務管理の理論である。新聞の論調には「政府がインフレを起こすのは無責任でケシカラン」というものが多いが、これは誤りだ。「無責任」はインフレ税の必要条件ではない(テクニカル)。

塩路悦朗氏が「FTPLの世界がこの世に出現するには前提条件が要る。政府も中央銀行も、政府の予算制約を満たすために頑張るつもりはないと人々に思わせることだ」として「ダブル無責任体制」の成立が条件だというのもおかしい。政府が無責任にならなくても、日銀は財政ファイナンスで大規模な「財政政策」をやっているので、「出口戦略」で物価をコントロールできる可能性がある。

黒田総裁がテーパリング(国債の買い入れ減額)しただけで、長期金利が上がるだろう。それでも物価が上がらなければ、日銀が保有している国債を売ればよい。そのうち限界が来て国債が暴落したらインフレになるので、日銀が買い戻して物価を抑制すればよい――というようにうまくコントロールできるかどうかが問題である。

理論的には、投資家が合理的(完全予見)なら可能だ。Sims(2013)は「インフレになって政府の実質債務がゼロに近づくと、民間人の将来の納税額が彼らの資産を上回って予算制約に直面し、彼らは消費を減らして貯蓄するので(非リカーディアン)均衡に収束する」と予想している。インフレ税で社会保障債務は改善するので、長期的には財政が健全化する可能性もある。

もちろん現実の投資家は合理的ではないので、リーマン・ショックのように不可逆な金融危機になるリスクも大きい。だが麻生財務相にFTPLやヘリマネを推奨した(たぶん日本国債の空売りをかけている)ソロスのような国際資本移動の影響は限定的だろう。国際金融市場が完全なら、日本国債の相場はとっくに崩壊している。

ただし危機管理はきわめて重要である。日銀が一時的に債務超過になっても、最終的に回復すると予想できれば政府の資本注入は小規模でいいが、民間銀行の取りつけはコントロールできない。特に地方金融機関の自己資本を増強し、政府と日銀のバランスシートを統合して「最後の貸し手」機能を強化する必要がある。

経済政策を考えるとき、浜田氏のような心情倫理はナンセンスだが、財政タカ派のように「無責任だ」と否定するのも心情倫理だ。ケインズが1930年代に財政赤字を容認したときもケシカランという批判が強かったが、政治は結果責任である。感情を抜きにして考えれば、FTPLは日本経済の将来予測としても政策手段としても使える。