実は似ている? 護憲派と教育勅語礼賛派

梶井 彩子

守旧派の革新、破壊衝動の保守

日本における進歩的文化人(左派・リベラル)は分類上、「革新」のはずだが、憲法に関しては一文字たりとも変えないという守旧ぶりを発揮する。頑迷固陋。「日本国憲法こそ最も進んだ憲法だ」というかもしれないが、作られたのはもう70年も前だ。

数年前に大人たちが持ち上げたSEALDsの主張に対し、台湾や香港の学生運動のリーダーたちもこう述べている。

〈憲法を守るという発想はちょっと古いと思います。憲法を守るより、どんな憲法が欲しいのか、どんな価値観が欲しいのかを言った方がいい〉

〈(SEALDsの主張は)絶対的平和主義とか平和憲法絶対守れとか、古いですね。戦後の団塊世代の価値観をそのまま継承している〉

福島香織『SEALDsと東アジア若者デモってなんだ!』イースト新書

70年の間には9条以外にも様々なひずみが出てきており、特に24条の結婚について、時代に即した条文に変えてもいいと思うのだが、護憲派は「解釈」によって改正を意地でも避けようという構え。こうなると一体どこが革新、進歩的文化人なんだという話になる。

彼らは保守派を「戦前に戻りたい人たち」とレッテル張りすることで、それより時代の下った戦後を抱きしめている自分たちは「進歩的だ」と言いたいのだろう。

一方の保守も、保守と言いながら戦後の歩みには納得がいっておらず、守るよりも変えたい部分が大いにある。特に憲法が象徴的だが、それ以上に「戦後体制を破壊し、リセットしたい」という破壊衝動に近い考えが保守とみなされているきらいもある。

確かに平和主義に偏重しすぎてお花畑の住人になってしまった一部の人を見れば、その歩みを否定したくもなるだろうし、私も分類上は保守だろうと思う。しかし戦後否定の力が強すぎて、「革命を起こせ」と言わんばかりの主張が、あたかも保守であるかのように語られるのはいかがなものか。だから辻元清美議員らに「私こそ保守本流」などと言われる隙が生じるのではないか。また、一方で「取り戻したい日本」を明治から昭和の限られた過去に固執して求めるのも、改めて考えてみると不思議ではある。

「教育勅語」である必要性

森友学園の問題では教育勅語の問題が取り沙汰された。教育勅語にはいい部分もあり、唱えたい、教育に使いたいというなら、私学においてそうする自由はあっていいと思う。「排除派」の様子は過剰反応とも思える。

ただし一方で、朝日の社説に一部同意するが、家族の大切さや公への奉仕の心を教えるときに、引いてくるのが教育勅語である必要性はどの程度あるのだろうか。

古いものを大事にしたい気持ちには敬意を表するが、歴史の縦軸を意識するというなら明治では時代が下りすぎているように思う。大事なのはその内容。時代に合った表現で新しく標語を作ったほうがそのエッセンスは伝わりやすいと思うが、なぜ昔の素材そのままに固執するのだろうか。

教育勅語肯定派の多くは単純に「いいことが書いてある!」「戦前のものだからってだけで否定するな!」と考えているだろう。一部のコアな人を除けば、教育勅語は暗唱できるわけでもなく、単に「どう思う?」と聞かれれば肯定する程度。あるいは左派から否定の声が挙がるのに対して「何が悪いの?」と言い返している人がほとんどだ。あるいは、一部の論者が肯定しているので、自分もその意見に乗っかっている、というくらいではないか。

実際のところを言えば、(人間として当たり前のことが書いてあるのに)戦後徹底的に否定されたからこそ、肯定論を唱える声も大きくなる、というのがネットの声も含む保守派の大勢ではないだろうか。

だから朝日新聞が危機を感じて紙面を大きく割いて「教育勅語が教育の場を侵食するのではないかぁぁぁ」とやればやるほど、教育勅語礼賛勢力はますます勢いを増すことになる。まさに燃料投下。いわゆる(ネット)保守の間では教育勅語神話以上に、「朝日の反対の意見こそ正しい」論の方が支持が厚いのだ。

もうやめたい、保革の不毛な争い

革新派は戦前を否定することでアイデンティティを保ち、保守派はその革新派を否定することでアイデンティティを保っている。そのため、革新派が否定する戦前的なものまで肯定している(ように見えてしまう)。いずれもおのれの立ち位置が〈否定〉でしか成り立っておらず、「戦後的でもないが、戦前的でもないもの」を、歴史を長いレンジで見据えたうえで新しく創造する力に乏しい。

さらにさかのぼると、保守の一部は戦前だけでなく明治や明治憲法を高く評価する(なぜか大正は飛ばす)。「昭和の日」に続いて「明治の日」制定運動を続けている(「大正の日」制定運動は寡聞にして知らない)。どの時代の先人たちも死力を尽くして歴史を紡いできた。近代日本の始まりというのは分かるにしても、なぜそんなにも明治なのか。

一方、明治以降の日本を「軍国主義に踏み出した」「列強入りを画策した」として否定したい革新派のなかには江戸のスローライフ幻想、鎖国や循環型社会に熱い思いを寄せる人がいる(そして薩長が嫌いであり、安倍総理もその流れも含めて敵視)。

保守=教育勅語礼賛、革新=日本国憲法護持派、とするとわかりやすい。日本の歴史は長いのに、護憲派は敗戦を、勅語礼賛派は明治を「あるべき日本がスタートした起点」と考えている。逆に、護憲派は明治を、勅語礼賛派は敗戦を、「日本がおかしくなり始めた起点」だと考えている。

保革両派、つまり護憲派と教育勅語礼賛派は、実は似た者同士、裏表の存在なのではないだろうか。日本の歴史をある一時期で区切って考え、相手が強く否定するものを、だからこそ意地になって守ろうとする。ために不毛な争いが展開される。これが今の保守と革新の思想戦の実態ということになる。そんなものなのかもしれないが、発展性があるとは思えない。

自国のあるべき姿のイメージが70年以上前の時代に巻き戻すか、70年間の肯定しかないというのではあまりにも悲惨だ。これが衰退するわが国の在りようなのかと思うと悲しみがこみ上げてくるが、そうそう悲しんでいる余裕もない。「国際化に対応しよう」などと言うぼやけたものではない、国家ビジョンが必要だ。