「一強」の何が悪いのか

「強すぎる自民党」の病理 老人支配と日本型ポピュリズム (PHP新書 1058)

朝日新聞の「パノプティコン」シリーズは、ますます意味不明になってきた。けさの記事では経産省が執務室に施錠したことを「息苦しい」と批判しているが、この記者はアメリカ連邦政府に行ってみればいい。各階ごとに空港のようなボディチェックがあり、記者が政府内をうろつくことなんかできない。

この連載は持って回った表現で、安倍首相の「一強」状態をファシズムとダブらせ、「安倍はヒトラーだ」とほのめかしている。シリーズの名づけ親である、元革マルの石田英敬氏は「安倍政権はファシズムだ」と攻撃している。

1930年代の日本を「ファシズム」と規定した(丸山眞男以来の)日本ファシズム論は、問題を逆に見ていた。日本が戦争に突入した原因はヒトラーのような独裁者の暴走ではなく、「弱い内閣」や「統帥権の独立」で誰も決定権をもたないアナーキーだった、というのが伊藤隆氏の指摘である。

霞ヶ関の権力分立は平和を保つには役立つが、危機に弱い。震災のときの民主党政権を思い出せばわかるだろう。安倍政権は、それに比べればかなりましになったが、朝日は「一強」が悪いという。これは(戦前に朝日の応援した)軍部の思想である。彼らは北一輝の発明した「統帥権の干犯」という言葉を利用し、右翼は政府を「幕府的存在」と攻撃した。

議院内閣制のもとで、内閣総理大臣に権力が集中するのは当たり前だ。朝鮮半島に危機が迫っている今、みんなで相談して国を守ることはできない。首相が戦争を指揮し、彼の政策が誤っていたら選挙で政権交代するのが政党政治である。政治主導は橋本行革から20年来の政治課題で、民主党が政権交代のときマニフェストのトップに掲げた政策だ。

自民党はその意味での政党とはいいがたかったが、小泉内閣がそれを変え、第2次安倍内閣は大きく変えた。その最大の原因は内閣人事局で政治任用を増やし、菅官房長官が人事を通じて霞ヶ関をコントロールしたことだろう。

ただ安倍政権を支えているのは、自発的な「忖度」であって暴力的なパノプティコンではないので、党内のコンセンサスに支えられないと動けない。集団的自衛権は何とか乗り切ったが、社会保障やエネルギーなどの政治的に危険な問題にはふれられない。問題を果てしなく先送りすると、予期せざるショックで「爆発」するというのが30年代の教訓である。

追記:この問題は去年の拙著でも論じたので、アマゾンのリンクを張った。