インターネット媒体に画像や文章を出していると、不当な批判をコメントで受けることがある。匿名者の暴言を気にしても仕方がないので、意識して見るわけではない。それでも時には目に入る。2月に田原総一郎さんの司会で、井上達夫先生と私がゲスト出演したラジオ番組の様子が、You tubeで公開されている。そこに「篠田は勉強不足」という匿名者コメントが付されている。
ラジオ番組の中で、田原さんが「篠田さんが書いているドイツ思想」について質問された。それは唐突で、私の発言も途中で終わった感じだった。「憲法学における自衛権の概念構成におけるドイツ国法学の枠組みの残滓の影響」といったことが、聴取者に伝わるはずはなかった。
だがだからといって、わざと私の本は何も読んでないと言った上で、「篠田とか言う奴は勉強不足」だと断じるのは、どうなのか。しかもその根拠は、「芦部先生はアメリカに留学したことがある」、である。・・・
気にしていたらきりがない。国際政治学者としての私にはどうでもいい問題ではある。しかし、憲法記念日も近いので、このブログを書いている。実は、こうした風潮は、日本社会を深刻に停滞させている、根が深い問題ではないか、という気もしているからだ。
芦部信喜の博士号学位論文は「憲法制定権力」であり、シェイエスやシュミットにこだわり、フランス革命やドイツ国法学にこだわった研究であった。彼の初期の論文は議会政の比較であった。最初の東大での担当講義はドイツ法学中心の「国法学」だった。本格的なアメリカ憲法訴訟論研究に移行する契機となったハーバード留学は、すでに30代後半になってからのことだ。
芦部のアメリカ憲法訴訟への関心は、彼の学術的キャリアの後付けの部分の業績である。しかもその後づけが生まれたのは、留学期間中に起こった砂川事件最高裁判決などを契機にしてのことである。そこには、司法消極主義への疑問という、護憲派憲法学者としての事情があった。<これは「勉強不足の国際政治学者」が知っているはずがない重要秘密情報・・・ではない。ただ芦部の本を読みさえすれば分かる。(芦部信喜『憲法訴訟の理論』[有斐閣、1973年]14-15頁を参照)>
むしろ不思議なのは、憲法学の学徒の方々が、いっさいこうした芦部の思いなどには関心を持たず、研究考察もしないことだ。「勉強不足」以前に、知的敏感性の欠落なのではないか。
公務員試験や司法試験に受かるために、権威ある憲法学者の基本書を丸暗記する。そして「あなたは勉強不足だ、なぜなら芦部先生と言っている事が違うからだ」、といったことを繰り返す。納得しない者がいれば、「反知性主義者だ」と糾弾する。それでいいのだろうか。
そこで憲法学徒の方々に、公開質問状を投げかけてみたい。以下の文章は、芦部信喜『憲法』の最初のページの冒頭の一文である。これを読んだ上で、「篠田英朗は勉強不足で間違っており、この文章にはドイツ法学の影響はない、アメリカ憲法学の影響を受けたものだ、という結論を論証せよ」、という問いに、答えてみていただきたい。
「一定の限定された地域(領土)を基礎として、その地域に定住する人間が、強制力を持つ統治権のもとに法的に組織されるようになった社会を国家と呼ぶ。したがって、領土と人と権力は、古くから国家の三要素と言われてきた。」(芦部信喜『憲法』[岩波書店、1999年]、1頁)
この芦部『憲法』の冒頭の最初のページの最初の記述で登場する「統治権」なる概念には、実定法上の根拠がない。つまり憲法典その他の国内法および国際法においても何も一切根拠がない。あわせて「国家の三要素」なる学校教科書にまで蔓延している概念も、実定法上の根拠がない。
なぜこのような実定法上の根拠がない概念が、日本国憲法に関する基本書の冒頭に登場するのかと言えば、答えは、「古くから」東大法学部系の憲法学者の方々によって「言われてきた」から、である。
大日本帝国憲法は、第1条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定め、第4条で「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と定めていた。つまり「統治権」とは、大日本帝国憲法における天皇大権の鍵概念であった。
明治憲法が「統治権」を重視した背景には、起草者である伊藤博文=井上毅が、大隈らイギリス派の政治家を失脚させてまで、ドイツ憲法学を参考に憲法を制定する方針を貫いたことがあった。彼らはプロイセン憲法やドイツ国法学における「Herrschaftsrechte」「Regierungsrechte」といった概念を参考にして、「統治権」を鍵概念とする大日本帝国憲法を起草した。官僚養成の使命を持つ東京帝国大学法学部が、ドイツ国法学の牙城となっていったのは、当然であった。
「統治権」と領民・領土から成る「国家の三要素」という考え方は、明治憲法が参考とした1850年プロイセン憲法の規定であり、ドイツ国法学の概念構成だ。東京帝国大学法学部では、美濃部達吉が、ドイツ国法学の雄イエリネックの強い影響下で、「統治権」を含む「国家の三要素」に依拠した「国家法人説」を導入した。そして大正期・昭和初期の日本の憲法学界に君臨した。「国家法人説」とは、つまり国家が「統治権」を持つ、という学説のことであった。
(なお伊藤=井上は、『憲法義解』を著し、「統治権」に日本の神話世界の「シラス(治ス)」論の彩りを添える追加作業も行った。神話的な天皇大権論に与しなかった美濃部が糾弾されたのが「天皇機関説事件」だ。そのとき美濃部は外国人学者受け売りの者、つまりドイツ国法学そのままの輸入業学者として蔑視された。)
戦後は、美濃部の弟子の宮沢俊義や清宮四郎らを経由して、孫弟子にあたる芦部信喜に、ドイツ国法学の概念構成が引き継がれた(760ページにわたるイエリネックの『一般国家学』の翻訳書は若き芦部の業績の一つだ)。
たとえば「統治権」という、日本国憲法典から見れば神秘的としか言いようがない謎めいた概念が、21世紀になってもなお憲法学者たちの基本書に残存している。そして全く何の注も説明もない提言命題として、公務員試験や司法試験の受験生の一問一答試験対策の暗記勉強対象となり続けることになった。
芦部がごりごりのドイツ信奉者だ、と言いたいわけではない。しかし概念枠組みのところが影響されているので、むしろもっとたちが悪い。「統治権」は「国権」と同じだが「主権」とは違う、といった言説を並べながら、自説にもとづく「国民主権主義」を推し進める。ほとんど学界での権威を通じた立法行為になっている。
芦部信喜が憲法学基本書の冒頭で書いている「統治権」「国家の三要素」とは何なのか?
ドイツ国法学を紹介して憲法学界に君臨した美濃部達吉の権威、芦部信喜ら美濃部の直系の弟子たちの権威が支える、謎の和製ドイツ語概念である。
なぜ「統治権」や「国家の三要素」は「真理」になっているのか?
「あの偉い芦部先生も言っている、それ以上にどんな論証が必要だと言うんですか?勉強不足の国際政治学者は黙っていてください」、といった「知性主義」的な態度をとる方々が、日本には多数いるためである。
以上をふまえて、あらためて憲法学徒の方々への公開質問を行いたい。上記の芦部『憲法』冒頭の引用文章を読んだ上で、「篠田英朗は勉強不足で間違っており、芦部の基本書の冒頭の文章にドイツ法学の影響はない、アメリカ憲法学の影響を受けたものだ、という結論を論証せよ」。
編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2017年5月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。