賞罰というもの

魚釣りで有名な中国周代の政治家、太公望は「賞罰のポイント」として、「誅殺は相手の地位が高い程効果があり、報償は相手の地位が低い程効果がある」、及び「一人の善行を賞して、多くの人に善行を勧める。一人の悪行を誅罰して、多くの悪行を戒める」と言っていたようです。

『韓非子』で「信賞必罰」と昔から言われる一つの教えがありますが、私は賞罰というものを明確にすることが組織統制上非常に大事だと思っています。また賞罰というのはその時常に、公正無私(『荀子』)の観点で行われねばなりません。何故なら結局それが妙な徒党の形成に繋がったり、妙な反発を招いたりすることにもなるからです。

確かに「報償は些細な善行でも行う」といった側面もあるでしょうが、一方で「賞は少善を挙げ」ていたらキリがありません。賞罰の対象を明文化する中でその線引きをきちっと行い、公平性が担保されていれば可笑しなことにはならないのです。誰が賞罰を決めるかによって変わってくるような仕方ではなく、「罰は大悪を禁ずる…誅罰は重悪から行う」にしてもその全てを明文化し、その中で賞罰を厳格に行うことを考えた方が良いと思います。

それから、「一人の悪行を誅罰して、多くの悪行を戒める」とは「一罰百戒」を意味しています。例えば私は人を怒る時、基本的に人前であろうが何であろうが怒る方が良いと考えています。出来たら人前で怒った方が良いのではとさえ思っています。何故その方が良いかと言いますと、怒る内容そのものの明確な理由を他の人にも、分からせる機会となるからです。

「人前でなく、こそこそと怒る方が良い」等と言う人もいますが、余計なことは考えずに先ずはタイムリーに怒るべきをきちっと怒り、その後きれいさっぱり何事もなかったようにするのがベターだと思っています。怒られた人が翌日まで落ち込まぬよう、フォローしてやることはあっても良いかもしれません。

同様に人を褒める時も基本皆の前で、その人に対して持った素晴らしいという気持ちを素直に吐露し、その人の何が実際に素晴らしく感じられ褒めているかを述べたら良いでしょう。そしてまたその時に、どういうことをしたら単に褒められるだけでなく賞の対象になり得るか、といった類も含め明明白白にして行くことが大事だと思います。

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