韓国大統領選挙の結果が出て、いわゆる左派のムン・ジェイン候補が新大統領になったそうです。
私は韓国情勢の専門家でも全然ないなりに、個人としてのこの人をインタビューその他で見ていると(特に動画で直接話してるのを見ると)、「親戚にいたら仲良くやれそうなオジサン」ぐらいの、人間的にはとても良い人な印象なんですが、しかしこの時期にこういう人が大統領になるのでいいのか?というのは、他人事ながら心配にならざるを得ません。
じゃあ私の専門は何かと言われれば経営コンサルタントなわけですが、「人間の集団の動き」という面から見て、韓国は過去20年ぐらいの日本の悪いクセを後追いしていっているような予感がします。まさに「日本化する韓国」。と同時にひょっとすると日本のどこかに、過去20年ぐらいの韓国の良い面のようなものが、新しく胎動しているのではないか、そうならいいな・・・というような感覚もあるので、そういう話をしたいと思います。
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今回の韓国大統領選についてニュースで見ていて、色んな候補の支持者が一様に、細かい政策(いや、”細かい政策”ですらない大枠の話ですら!)の話について聞かれると即座にでその話題をほとんど拒否するような形で、
「(政策はともかく)とにかく政権交代をして民意を突きつけることが重要なんだ」
というようなことを言っていたのが非常に印象的でした。別にディスるつもりはないんですが、あまりに自分の価値観と違うので、「へえ、そういう考え方もあるのか!」と思ったというか(笑)
どっちが良い考え方だとか言うつもりは全然ないですが、少なくとも私は「政権交代をした後何をするか」が一番大事で、その明確なビジョンがない時期にはあえて対立側に権力を渡しておくことすら意義があると思っているぐらいなので・・・
しかしこう、いわゆる過去20年の、最近あちこちから揶揄されている「日本のサヨク性」といったものは、まさに「こういう価値観」がベースにあったんじゃないか・・・というふうに思い当たりました。
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過去20年、特に日韓ワールドカップあたりから、韓国という存在が日本の中で非常に大きな存在感を持つようになってきましたが、思い返せば韓国と日本は常に「決断と行動力と一点突破の韓国」「バランス感覚と地道さはあるがグダグダな日本」という対比のイメージで捉えておけばほぼ間違いないような印象だったように思います。
実際、財閥系の「家」が独裁的権力を持っているトップダウンの経営環境の中で、激変するグローバル世界の中にバシバシ打って出るサムスンをはじめとした財閥系韓国企業に対して、日本の古い大企業はサラリーマン経営者がグダグダと合議をしているうちにチャンスを逃しまくり、縮小均衡に縮小均衡を重ねていくうちに世界での存在感を失い続けた20年・・・という時代でした。
とにかく徹底したコンセプト一点主義でまとめたバリバリのEDM楽曲に、堂々と整形してキッチリ「商品」化したスターが徹底的に訓練したダンスをする韓流グループなど、こちらも「日本の芸能」が特にアジアでの存在感を失いつつあるのに対して一気にそれを「入れ替える」活躍をしていて、日本人としては「羨ましいような、でもちょっとやり過ぎ感についていけないような」微妙な思いを味わい続けてここまで来ました。
つまり韓国というのは「財閥」や「家」といったガチガチの旧世界的システムで守られた縦線の強さを基本として、徹底したトップダウンの行動力で、グダグダになるのを避けることで、その特異な力をここ20年発揮してきた国だった・・・はずです。
しかし、どうもここ最近の韓国を見ていると、まるで「グダグダだった時の日本みたいだ」という感じがします。社会を徹底的に縦に縛り上げていたタガが外れて、あらゆる構成員の不満が噴出し、その感情エネルギーの膨大さゆえに誰も「行動の結果」に対して責任を持てず、「やることへの没入感自体」にのみ価値を感じて突っ走ってしまう感じ。
財閥も解体する・・・ということですし、いわゆる「経済民主化」路線によって韓国は、これから過去20年ちょいの日本が陥った「グダグダさ」の海に沈んでいくのかもしれません。
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ただ、財閥を解体し、格差問題に対処し、できるだけ平等で納得感のある社会を目指すこと自体は、韓国社会にとって避けられない課題なのだと思います。その課題への対処が、一時的に「今までの一番の長所」の輝きを失わせてしまうのだとしても、その道を行かないと、彼らが言うところの「ヘル朝鮮」社会が自分たちの「社会への納得感」が維持できないぐらいのところまで行ってしまっているのでしょう。
個人的には「韓国人の一本気なところは、たまにウザいけどキライじゃない」という感じなので(笑)その困難さを乗り越えて、新しい「彼らの良さ」の発揮パターンが見えてくるまでの時期ができるだけ短いことを祈りたいと思っています。
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一方で日本です。色々不満もあるでしょうし、安倍政権やその支持勢力に問題がないとは全然思わないんですが、「政策でなく政権交代自体が目的」という志向に対する抑圧力が社会の中に高まっている(主に民主党政権時代に対する大衆的反感ゆえに)ことで、「とにかく安倍を倒せさえすればいい」というムーブメントに対しては、民意的に厳しい判断がくだされている状況を、まずは第一歩としてプラスに捉えたいと思っています。(これは別に安倍政権がメディアに圧力を加えているから・・・というのではないはずです)
これは安倍信者だから言ってるのではなくて、もしあなたが安倍嫌いの人だとして、とにかく倒せばいいんだという形で安倍氏を倒したはいいものの、「その後何をするのか」に対する一貫したパッケージを提示できずに「安倍氏を倒した次の日から生まれる空白」を信頼感をもって埋めることができなかったら、「普通の日本人的大衆」の「左派的なものへの忌避感」はもっとさらに高まって取り返しがつかなくなるんじゃないか?ということを私はいつも恐れています。
「準備なしに安倍を倒すことだけを目的に暴発したならおそらく必ず起きてしまうその問題」の深刻さに比べたら、安倍長期政権がもたらす色んな「問題」なんてカワイイものだという感覚が私にはあります(それでいいと思ってるわけではありません)。
願わくば、「結果的な政策に対して無計画的なサヨク主義」に対する抑圧力が高まっている状況をうまく利用して、その高圧に晒された特異環境から「新しい自分たちの軸」を見出し、過去20年の韓国(人・会社・国)を羨ましい思いで見ていた時のような「良さ」について、今度は日本がそのお株を奪うような方向性を出していけたらと思わずにはいられません。
そういう役割を民進党に期待してたんですが、あんまりそういう感じではなくなりつつあるみたいで、もうどんどん「アンチ安倍政党」になってしまわれて、個人的には残念な思いを持っているんですが。
最近の世界的な選挙動向を見ていると、
「過剰なグローバリズム志向で市場原理主義」からは一歩引いてそれなりのバランス感覚を持って運営できるようにしたんだけど、それをやれるまとまった主体を探すと「メチャクチャ”右”すぎるもの」にならざるを得なくなる
というジレンマがあるように思います。
ここで重要なのは、「右」の要素は「手段」でしかなく、それなしにちゃんと中道的なところでマトマレルのであればその「右要素」自体を人々が強く欲しているわけではないのではないかということです。
安倍氏やその近辺の「右」的要素に対して懸念を持たれている方は、ぜひ「安倍を倒してから何をするのか」についての統一的なパッケージを用意することにこそ、もっとエネルギーを使って欲しいと思っています。
私も微力ながら頑張ります。長年ペンディングになっていた書籍をこういうテーマで書き始めることにしました。しばらくブログアップ等が滞るかもしれませんが、ご期待いただければと思います。
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個人的に非常に希望を感じているのは、複数の私のクライアント企業で、それぞれ別個に、「強権的なリーダーシップでゴリ押しするかグダグダになるかどちらか」ではないような流れが実現しつつあることです。
具体的には色んな事例があって、
「派手じゃないがマトモな人にちゃんと権力が渡る時代になったな。ちゃんとそういう人(口先だけ派手な人でなく)の意志をみんなが当然のこととして盛り立てていける情勢になりつつあるな。」
とか
「長年そうすべきと考えてた施策に守旧派が大反対していたが、キーパーソンが辞めるの辞めないのと大騒ぎしたドラマのはてに、結果として知らないうちに、守旧派さんも納得してその道に踏み出すことに決められた」
とか、なんかそういう「長年ずーっとイジってた知恵の輪がふと外れてしまって自分で驚いた」というような話です。
長い間グダグダになっているとそのこと自体の経験効果もありますし、「マトモな理屈の運用方法」にも習熟してくる人が出て来ている。
結果として、ゴリ押しではないが、「このタイミングで、当然こういう決断するでしょ!」という方向に、自然と動かせる事例が増えてきました。
「空気を多少は読むしそれを積極的に利用するが、グダグダにはならずマトモな理路が通るように持っていけるスキル」を、無数の「失われた20年に苦しんできた」日本人が身につけつつあるのではないかという予感がある。
それはまだ、私のクライアント企業の小さな事例に過ぎませんが、相互に関係なく同時多発的にそういうことが起きつつあることには非常に希望を感じます。
過去20年間派手な「相手全否定の理論」を振り回して罵り合っていた人たちにはない力を、うまく育てて結集していけたらいいなと思っています。
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この記事に関連して、北朝鮮・中国・韓国を含む「東アジア人の義理の連鎖」が閉じはじめて、「日本の右」と「中国政府」が「ちゃんと同じ条件」に乗っかるようになったことで、はじめて「日本の右の過剰で良くない部分」をも抑止することが可能になってきている・・・という話を前回書きました。
中国を「ドラゴンボールのベジータ」扱いすることが東アジア平和のカギ
「条件」があまりに違う状況で「日本の右」に厳しく、そして「中国政府」には条件が甘い・・・という状況で圧力をかけていこうとしても、不公平感ゆえに「左翼的理想」そのものへの忌避感や一般的憎悪を余計に煽る結果になってしまいます。
そこで中国を「ベジータ(ドラゴンボールの)」的存在として扱う「意識高くない系同士のコミュニケーション」を利用することで、最近目に余るマイナス面も出てきた「妄想的なレベルの自国礼賛」とかいったレベルの「日本の右」の良くない部分も、本質的に落ち着かせる流れを起動させることができるはずです。
もしあなたが「安倍嫌い」の人だとしたら、今回の記事と、この前回の記事のような方向での「倒した後のことをこそちゃんと考えた戦い」を意識していただきたいと私は強く願っています。
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それでは、また次回お会いしましょう。ブログ更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。
倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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