憲法学における「正義」への関心の欠如について~憲法9条解釈論その3

篠田 英朗

「正義と秩序を基調とする国際平和」を考える(写真AC:編集部)

数日前のブログで、9条は「目的」宣明機能を持った条項であり、その目的とは「正義と秩序を基調とする国際平和」であると書いた。それでは「正義と秩序を基調とする国際平和」とは、どんな平和だろう?

過去70年間、日本人は、憲法の平和主義を語り、9条の平和主義を語り続けてきた。しかし憲法が目指す平和が、「正義と秩序を基調とする国際平和」であることには、誰も注意を払ってこなかった。平和、平和、平和、と繰り返すだけで、「正義」や「国際」に注意を払おうという試みは、70年間、行われてこなかったのではないか。

憲法前文においても「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文章がある。芦部信喜は、この前文の一句について、「国際的に中立の立場からの平和外交」に関する文章だという解説を施しているが(『憲法』[新版・補訂版]56頁)、どうしてそうなるのか、全くよくわからない。

前文における「公正」は、英文では「justice」である(justice and faith of the peace-loving peoples of the world)。9条における「正義」も「justice」となる(Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order)。
(ちなみに9条1項冒頭の目的宣明は、2項冒頭の有名な「芦田修正」と同様に、日本の国会議員からなる帝国憲法改正小委員会で挿入されたものだ。だがいずれにせよ、その趣旨は、GHQ草案の時点から存在していた前文の文章と連動している。)

「Justice」というのは、正しい状態や行為を指す言葉で、中立的な外交を指す言葉とは、思えない。9条に「正義」を入れるのであれば、前文もまた、「平和を愛する諸国民の正義と信念を信頼して」となるべきだったはずだ。

「押しつけ憲法論を振りかざす日米安保容認の改憲論者を許すな!」と叫び続けてきた憲法学者たちは、アメリカ政治思想に根差した日本国憲法を、素直に読もうとしてこなかった。

「Justice」という言葉は、アメリカ合衆国憲法の前文に登場する。「正義(justice)の確立」は、アメリカ人民が合衆国憲法を制定した「目的」の一つとして、あげているものだ。共通防衛で国内の平穏を保障して自由を守りながら、「正義の確立」を目指す、と合衆国憲法は宣言している。

アメリカが正義の確立を目指していることを十分に知りながら、あるいは知っているからこそ意図的に、正義について語るのを回避しようとするのは、少なくとも憲法典に即した態度ではない。

正義を無視しても平和であればいい、一国主義であっても平和であればいい、といった態度は、日本国憲法が排除することを宣言している非立憲的な態度である。

本来、日本国憲法の平和は、常に「正義」に裏付けられた平和であり、その「正義」は「国際」的に認められているはずの「正義」である。日本国憲法の「平和」を、「正義」と「国際」から切り離して解釈するのは、本来の趣旨からすれば、間違いである。

さらに言えば、英語の「justice」が、「司法」も意味する語であることは、言うまでもない。たとえば「正義と秩序(justice and order)」という言い方をした際、狭義で「法と秩序(law and order)」ともかかわる含意もあるように受け止めるのが、当然だろう。前文において「平和を愛する諸国民の正義(justice)と信念を信頼」する場合、国際的な法秩序を信頼する、という含意があることは、当然だ。ちなみに「平和を愛する諸国(peace-loving states)」という概念は、国連憲章においても(潜在的)加盟国を指す際に使われている。

9条においてもやはり、「正義と秩序を基調とする国際平和」とは、国際的な法秩序にのっとった平和、と解するべきである。重要な点である。強調したい。9条の目的は、国際法に従った平和の達成である。戦争放棄や戦力不保持は、目的達成のための手段であり、その逆ではない。 手段から目的に至る道筋には、国際法が案内人として立つ。

戦争放棄や戦力不保持を独善的に定義して振りかざしたうえで、国際法にしたがった平和の妥当性を審査しようとするのは、反憲法的態度であり、反立憲的である。

一部の憲法学者による、「憲法優位説により国際法を拒絶できる」、「憲法の平和主義で国際法を正すべきだ」、といった態度は、日本国憲法の本旨に反した非立憲的なものだと言わざるを得ない。


編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2017年5月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。