「こち亀」の本多さんじゃありませんが(笑)、車に乗ると人が変わる人たちがいます。「じゃまだぁ!、死にたいのか!」などと独り言を言って盛り上がっている(?)人たちです。
これは、車という大きくてスピードの出る機械の力を自分の力と混同してしまう心理状態だと私は思っています。車に比べて小さいバイクや自転車を無意識的に”自分の下”の見てしまうのでしょう。
自覚がある人はくれぐれも気をつけましょう。ひとつ間違うと、自転車に乗っている粗暴で屈強な人にボコボコにされる危険がありますから。
自分の能力と自分が持っているお金の威力を混同してしまうケースもよくあります。昔、知人から次のような話を聞いたことがあります。
都市部から遠く離れた地方都市に、祖父の代からの医院を継いだある開業医がいたそうです。
高校時代の成績が最悪だったので、裏口で入った私立医大を卒業し、家庭教師のおかげで国家試験に合格して医院を継ぎました。
開業資金もいらず親の遺産もあったので、億単位の資産を持った地方の名士になりました。
その先生、「先般、家内がプロ野球選手の某氏に会いたいと頼むもんだから、俺が東京の料亭で合わせてやったんだ」と、自慢話をしていたそうです。
知人の言によると、当の先生、地方の名士としての自分の名声と人柄でプロ野球選手と会食ができたと信じていたそうです。仲介者らしき人に「俺が頼んだからだ」実現したと豪語していました。
実のところ、一定のお金さえ払えばその仲介者は誰にでもそういう会食をセッテイングする仕事をしていたのです。
米国でも、莫大なお金を支払えば、元FRB議長とランチができるという話がありましたよね。
たとえ有名プロ野球選手であっても、引退すれば厳しい現実が待ち受けています。大金を投じてくれるスポンサーは大事にしなければなりません。初対面の人であっても快く会食をして、後はその人のことなど一切忘れてしまうのです。
この先生の場合は、(自分で稼いだわけでもない)大金を、自分の素の力だと誤解してしまったのでしょう。程度の差こそあれ、車のハンドルを握った人がバイクや自転車を格下扱いするのと同じです。
このように考えると、他から与えられた力を自分個人の力だと誤解するケースは世の中に掃いて捨てるほどあります。大企業の従業員が下請け企業の社長に「上から目線」になったり、監督官庁の役人が業者を怒鳴り散らしたり…。
このような公私の誤解を引退後まで引きずると、それまではみんなが下手(したて)に出てくれていたのに、突然ただのオッサン扱いされて「切れる」ことが多いようです。「上から目線」が長年の人生で染み付いてしまったので、それを軽視する相手の態度が許せなくなるのでしょう。
私が耳にする「切れる暴走老人」の定年前の職業の多くは、公立学校の教師でした。絶対数の多さ大きな理由だと思いますが、父兄から「先生、先生」と呼ばれ、日教組に守れているので管理職からの厳しい指導もありません。まさに「センセイ君主」になってしまう人が多いのでしょう。
もちろん、教師の仕事はストレスが多いしモンスターペアレンツもいますので、全ての教師が「暴走老人」になる訳ではありません。他の職業に比べて絶対数が多いので、私の知見が「たまたまの偶然」なのかもしれません。
「とても社会的地位が高かった人が暴走老人になった」と書かれていた本もあったので、大企業の元重役、役所の元幹部たちの方が、可能性としては「暴走老人」になりやすいのかもしれません。
いずれにしても、現役時代から肩書を外した自分を自覚する機会をしばしば持つ機会を作っておくと「自らの暴走老人化」を防ぐことができると考えます。仕事と無関係の場(フィットネスクラブや囲碁クラブ等)で自分の肩書を伏せておくのはひとつの効果的な方法です。素の自分への相手の接し方を知ることができますから。
あなたの周りに「暴走老人」がいたら、是非、現役時代の職業や前職を尋ねてみて下さいね。彼ら、彼女らは、きっと自慢たっぷりに昔話をしてくれるでしょうから(笑)
面白い具体例があれば、是非お教え下さい(*^^*)
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年5月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。