涙を誘うインド映画『Dangal』、中国で大ヒット

涙もろい人のことを、日本語では「涙腺が弱い」「涙腺が緩い」と言うが、中国語では「涙腺が発達している」「涙点が低い」という。日本人は、涙腺を涙を抑えるものだと感性的に理解しているのに対し、中国語人は涙腺を涙を出す器官だと合理的に認識している。かりに中国語で「涙腺が弱い」と言ったら(そういう表現はあまり聞いたことがないが)、涙腺の機能が弱い=涙が出にくい、との意味になる。

こんなささいな言葉の表現にも、ちょっとした国民性の違いがうかがえる。異なる文化によって笑いや涙の焦点が違うことはしばしばあるが、文化を越えた感動もまたしっかりと存在する。近年、そんな映画を次々送り出しているのがインドだ。人気俳優アーミル・カーンが主演した『きっと、うまくいく(3 Idiots)』(2009年)、『PK』(2014年)と続き、昨日、『Dangal(レスリング)』を観た。目下、中国での興行収入トップ作品で、公開から2週間余りで7億元を突破した。学生たちから、「先生もぜひ観てほしい」と勧められた。

中国の映画市場は空前の活況で、世界のヒット作がすぐに入ってくる。国家による検閲があるので、はじかれる作品はあるが、だれにも受け入れられる普遍的な価値を備えたものは、国家と市場の壁を超える力強さがある。『きっと、うまくいく(3 Idiots)』は、学校や家庭においていかに人を育てるべきか、人はどう育っていくのかというテーマを扱い、『PK』は宇宙から飛び降りた主人公を通じ、濁った世俗の宗教を風刺し、人間の真の信仰とは何かを問いかけた。一国の社会現象から、国境を越えた普遍的な作品に仕上げる手腕には敬服する。

前二作に続き、今回の『Dangal』も中国で観た。中国語タイトルは『摔跤吧!爸爸(レスリングしよう!お父さん)』。中国語と英語の字幕付きだ。日本より中国で先に公開される海外のヒット作品も少なくない。今回は、歳をとったせいなのか、恥ずかしいほど涙が止まらなかった。

舞台はインドの田舎。元レスリング選手の父親は、家が貧しくて果たせなかった世界チャンピオンの夢を、娘二人に託す。実話をもとにしたストーリーだ。厳しいトレーニングを課し、男の子のように髪を刈り上げ、度胸試しに、橋から川に飛び込ませることまでする。完全なスパルタ方式である。女性が家庭にいるべきだとする伝統的な家父長社会では、とうてい理解されない。冷笑、中傷を受けながらも、父親は信念を曲げない。男子を相手に平気で練習をさせる。

娘たちも抵抗し、反抗する。だが、やがて彼女たちは大事なことに気づく。若くして見たこともない許嫁との婚姻を強いられる村の娘たちに比べ、自分たちがいかに父親から人間として尊重され、愛されているかを。父親のスパルタ教育には、果たせなかった夢だけではない、女性の自立を求める父親の愛がある。姉妹は父親の猛特訓を受け入れ、全国チャンピオンになり、国家代表選手を育てるエリート体育学校に入る。だが、そこでまた親子の断絶が生まれる。

いわゆる近代的な指導を主張するコーチは、父親の教えたレスリングを時代遅れだと否定する。長女も大学の環境に染まり、化粧を覚え、髪を伸ばし始める。父親のもとで抑えつけられていた自己を主張し始める。第二の反抗だ。だが、国際試合では負け続ける。コネで自分の地位が安泰であるコーチは、「負けてもともと」と現状維持に甘んじる。長女自身もハングリー精神を失い、かつての競争心を忘れてしまう・・・それを救うのはやはり、父親しかいない---。

完成度の高い脚本、名優の演技、実話の迫力を持ったストーリ。それぞれが感動的であるだけでなく、何よりも心を動かすのは、「愛とは何か」とのメッセージがまっすぐに問いかけられるからだ。単純で、素朴な問いだからこそ心に染み入る。現代社会は功利や打算、因習で塗り固められ、微小な存在には抜け道がないように思える。だがそうではない。打ち破る力がある。それが愛だ。これは過去の二作にも共通したテーマであることに気づく。もとより、普遍性を持つ作品はみな、この一点に集約されるのかもしれない。

涙腺が弱かろうが、発達していようが、同じことだ。そんな気にさせてくれる作品である。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年5月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。