With the heaviest of hearts, we must share the awful news that our father, Sir Roger Moore, passed away today. We are all devastated. pic.twitter.com/6dhiA6dnVg
— Sir Roger Moore (@sirrogermoore) 2017年5月23日
70年代から80年代半ばまでシリーズに出演したロジャーは、アラフォー世代の我々にとって、まさに彼こそがリアルタイムの007だった。初代007を演じたショーン・コネリーと、しばしば比較され、“コネリー派”のファンも多い中にあって、間違いなく言えるのは、ロジャーがいなければ、シリーズの長寿化はあり得なかった。
アゴラのデビュー記事も「007」関連の話題だったほどの私だけに、何度か記事を投稿しているが、5年前に書いた『「007」復活に学ぶ日本の再生』では、歴代のボンド役者たちのポジショニングについて分析した。
いま改めて読み返しても、ロジャーは、コネリーに対する徹底的な逆張りで、新しいボンド像をクリエイトしたことを痛感する。シリーズ自体も70年代に「スターウォーズ」を意識したSF路線を導入するなど、折々のトレンドを巧みに取り入れるリノベーションを展開していたが、シリアス路線だった初期の作風にエンタメ要素を加えることで幅を広げられたのは、まさにロジャーの貢献あってこそだった。
歴代のボンド役者で最多の7作品に出演。ただ、最初の2作品は、70年代にシリーズをどうアジャストするか手探り期間だったこともあり、率直に言って現代の感覚でいうならばB級アクションの評価がついても仕方のない凡作だった。しかし、多くのファンが一押しするように「私を愛したスパイ」(1977年)では、SF的なスケールの大きなアクション(雪山のユニオンジャックのパラシュート降下シーンは伝説モノ=動画参照)と、コミカルさの絶妙な調和に成功。「これぞロジャー路線」と言われるだけの作風を確立する。
実は私自身もシリーズにはまったのも、まさにロジャー路線の賜物だった。中学2年だった1989年、たまたまTBSの水曜ロードショーで観た「オクトパシー」(1983年)の終盤ハイライト。飛行中の小型ジェットの機外で敵の殺し屋と死闘を繰り広げる様は荒唐無稽そのものでも、少年時代の私の心を鷲掴みにするパワーがあった。
役者としてのロジャーは、英国紳士を地で行くような気品さを漂わせながらも、とにかくユーモラスなのが魅力だった。あの伝説のコメディレース映画「キャノンボール」に、本人役で出演。普段は映画と同じくキザだけど、実際のケンカはめっぽう弱いというコミカルな「設定」も見事に演じきり、それがまた実に楽しそうだった。日本語版で吹き替えを担当した故・広川太一郎さんの声もまた見事にマッチしていた。
ボンドシリーズを勇退後は、ユニセフ大使を務めたが、その人柄を感じさせるのは、ファンの間でライバル視されがちだった初代ボンド、ショーン・コネリーを率直に評価していることだ。
ロジャーは1962年から1983年にかけてボンドを演じたショーン・コネリーと現在のボンド役としておなじみのダニエル・クレイグを称賛しており、ショーンがいなければシリーズが6作以上続くことはなかっただろうとしている。ロンドンのサウスバンク・センターでロジャーは「もちろんショーンが最高のボンドだよね」「彼は間違いなく適役だったし、あの役に正しいパーソナリティーを吹き込んだんだ。そうでなければ、彼が最初にやった6作以上ボンドが続くことはなかっただろうよ。彼はとてつもなく素晴らしいボンドだったからね」(出典:ビッグセレブ「ロジャー・ムーア、「007」に今後出演の可能性!?」)
まだまだ書きつくせないが、今宵は、カーリー・サイモンが歌った「私を愛したスパイ」の主題歌「Nobody does it better」を聞きながら、在りし日のロジャーの勇姿を思い浮かべ、枕を濡らそう。
すでに、このキーボードを打ちながら、私の心の中は号泣していて堰を切りそうだ。
ありがとう、ロジャー。3代目ボンドよ、永遠に。