「強い指導者」待望論と「メシア」降臨

時代が閉塞感に包まれ、停滞し出すと、それを打ち破り、新しい時代を切り開く人物の出現を求め出すものだ。それは政治、経済、社会、文化、宗教など各分野でみられる。

ユダヤ教から派生した宗教では人類を導く人物を救世主「メシア」と称する。バチカン放送は27日、独シュトゥットガルトに本部を置く「カトリック聖書協会」の発行雑誌「Welt und Umwelt der Bibel」最新号で「メシア、救世主の夢」という見出しの記事を紹介している(「メシア」はヘブライ語で、古典ギリシャ語では「キリスト」と訳語される。いずれも「油を注がれた者、救世主」を意味する)。

2000年前、ナザレのイエスは「イエス・キリスト」と呼ばれる。ヨセフとマリアの間で生まれたイエスの33年間の生涯は新約聖書を読めば分かる。民族の救い主、「メシア」を待望してきたユダヤ人が降臨したイエスを迎え入れることが出来なかった主因は、「メシア」という概念がユダヤ人とイエスの間でズレがあったからだといわれる。多くのユダヤ人にとって「メシア」は民族解放者、ユダヤの「王」を意味したが、イエスは人類の救い主として降臨した。そのため、多くのユダヤ人の目にはイエスは「律法を破壊する危険な人物」として受け取られたわけだ。

ユダヤ人社会では世界に散らばった“選民”ユダヤ人が再び国を建設する時、時が満ちたことを意味すると信じられてきた。すなわち、「救い主(メシア)が降臨する日」が近いというわけだ。ただし、「メシアの初臨」を意味する。ユダヤ人にとって2000年前のイエスはメシアではなく、「預言者」だった。同国では、メシア降臨運動が今でも活発だ(「イスラエル建国とメシア降臨」2008年5月11日参考)。

「メシア待望」はユダヤ教とキリスト教だけの専売特許ではない。アブラハムから派生したもう一つの唯一神教、イスラム教でもマフディーと呼ばれる第12代のイマーム(救世主)、ムハンマド・ムンタザルが人類の終末の時、再臨すると信じられている(シーア派分派の中やスンニ派はムハンマド・ムンタザルをマフディーと信じていない)。

ムハンマド・ムンタザルは西暦869年7月29日、サマラ(イラク北部)で生まれた。彼は第12代イマームでマフディー“隠れイマーム”だった。父親ハサン・アスカリーと母親ナルジスの間で生まれた。ムハンマドの誕生は当時のアッバース朝カリフ・ムウタミドの迫害を避けるために公表されなかったという。ヨセフとマリアがヘロデ大王の迫害を逃れてエジプトに逃げたストーリーに少し似ている。

カトリック雑誌によると、人類の歴史で女性が「メシア」を表明し、出現したことがない。ローマ・カトリック教会では13世紀以来、女性法王ヨハンナ(Johanna)の話が伝説として流布してきた。時代は9世紀初期、神父の家に生まれたヨハンナは女性であるという理由から教育を受けることも許されない環境下で生きるが、その優秀な能力が認められ、男性修道院の学校に入る。修道僧に変装して修道院で働きながら、多くの病人を癒す。その癒しの能力がローマに伝わり、ローマに呼ばれる。最終的には法王に選出されるという話だ。「女性法王ヨハンナ」は歴史家たちからは史実というより伝説と受け取られている。

「死海文書」によれば、(終末の時)「聖職者的(祭司長的)メシア」と「国王的メシア」の2人のメシアが同時期に出現するという。換言すれば、宗教的な意味の「メシア」と政治的な支配者としての「メシア」だ。例えば、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス(紀元前63年生まれ)は当時メシアのように受け取られていた。一方、イエスは生涯、第3者が言わない限り、自らはメシアと表明していない。ちなみに、イスラム教でも終末の時、イエスとマフディーの2人のメシアが出現すると信じられている。

興味深い点は、仏教や儒教でも終末の時(末法の世)、救世主的存在(例・弥勒菩薩)が出現すると記述されていることだ。世界宗教には表現こそ異なるが、人類の救い主の降臨(再臨)が明記されている。そして21世紀の今日、「メシア」待望、「強い指導者」出現を求める声が出てきているわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年5月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。