ども宇佐美です。
今回は最近噂の元文科省次官の前川喜平さんの話です。
さて官僚(に限ったことではないかもしれませんが)がどのような仕事をしてきたかを見るには、その経歴をみればおおよそ予測がつきます。そんなわけで前川さんの経歴を見て見ますと圧倒的に教育畑が長いことが見て取れます。
- 1979年4月 – 東京大学法学部卒業、文部省入省
- 1986年9月 – 宮城県教育委員会行政課長
- 1989年2月 – 在フランス大使館一等書記官
- 1992年3月 – 文部省官房政策課政策調査官
- 1993年4月 – 官房政策課政策企画官
- 1994年6月 – 与謝野馨大臣秘書官事務取扱
- 1995年10月 – 教育助成局財務課教育財務企画室長
- 1997年7月 – 文化庁文化部宗務課長
- 1998年7月 – 高等局主任視学官兼中央省庁等改革推進本部事務局参事官
- 2000年6月 – 文部省教育助成局教職員課長
- 2001年1月 – 文部科学省初等中等教育局教職員課長
- 2001年7月 – 初等中等教育局財務課長
- 2004年7月 – 初等中等教育局初等中等教育企画課長
- 2010年7月 – 大臣官房総括審議官
- 2012年1月 – 官房長
- 2013年7月 – 初等中等教育局長
- 2014年7月 – 文部科学審議官(文教担当)
- 2016年6月 – 文部科学事務次官
2017年1月20日 – 文部科学次官退任 - 2017年3月 – 就職先あっせんの口利きが発覚して停職相当の懲戒処分が下る
では直接的に高等教育局畑を歩んでこなかった前川氏がなぜこれほど政権を批判しているのかというと、率直に言って天下り問題で実質的に首を切られた「逆恨み」なのではないか、と私は思います。実際、菅官房長官は前川氏の次官辞任の経緯について「当初は責任者として自ら辞める意向をまったく示さず、地位に恋々としがみついていた。その後、天下り問題に対する世論の厳しい批判にさらされ、最終的に辞任した」と述べています。私は自らが担当した職務についてなんからの不正があった場合、元官僚が所属組織を告発することは情報公開の観点から非常に重要だと思いますが、このような形で情報が歪んで伝えられるのは必ずしも望ましいことではないと思います。前川氏は「初等中等教育局のドン」であるに過ぎず、今回の事案で最も発言が重要視されるのは本来前川氏ではなく常盤豊高等教育局長であるはずです。仮にこの問題で証人喚問を行うとしたら現高等教育局長である常盤氏、もしくは前高等教育局長である吉田大輔氏が最優先に考えられるべきです。なお吉田氏は退職後、文科省の斡旋で早稲田大学へ天下ったものの、一連の問題で退職を余儀なくされています。もっとも仮に事実であったとしても全く違法性がない加計学園の問題で証人喚問をする価値があるとは私は思えないのですが、、、
この点メディアも数十年間大学誘致に懸命になってきた今治市の為にも、この辺りの職務分担を正確に突き止め、適正な調査と報道を行なって欲しいと考えるところです。。。まぁもう加熱してるので難しいかもしれませんが。。。ではでは今回はこの辺で。
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(6/3追記)
本記事について文部科学省の職員の方っぽい人からtwitterで以下のような指摘を受けました。
「なんだこれ。基本、前川さんは総務畑だ。実務担当である係長時代は高等局で高等教育計画の担当だったのは省略し、官房総務課長や副長の経歴も省略してるし、それをもって、初等中等教育行政のドン、逆恨み、とは、こじつけも甚だしい。」
「高等教育計画に土地勘があり、特区は総務課マターだし、詳しくないわけがない。」
まずもって私は前川氏の経歴はwikipediaから引っ張って来たもので高等教育計画を担当した過去や官房総務課副長、官房総務課長の経歴があったのは存じ上げませんでした。その点率直にいって調査不足でした。
その上で私見を述べますと、前川さんが高等局で高等教育計画を担当していたのは20年弱前の話で主張の大筋は今でも間違っていないと思っています。また総務課として特区制度に絡んでいたとなると、まさに民主党政権時代の2010年から獣医学部の新設を「検討する」といってサボタージュし続けた当本人ということになるので、やはり「逆恨みなのではなかろうか」という心象を強くした次第です。
編集部より:このブログは「宇佐美典也のblog」2017年5月29日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像は文部科学省YouTubeチャンネルより引用)。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のblogをご覧ください。