【映画評】花戦さ

渡 まち子
提供:東映

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戦国時代末期。京都の中心、頂法寺六角堂の花僧・池坊専好は、天下統一目前の織田信長の前で見事な生け花を披露し、茶人の千利休らの心をつかむ。直後、思わぬ失態から信長の怒りを買うが、それを救ったのが若き武将・木下藤吉郎、後の豊臣秀吉だった。それから十数年後、秀吉が天下人となるが、愛息・鶴松を亡くして正気を失った秀吉は圧政を敷き、共に美を追い求めた専好の友・利休を自害に追い込む。さらに一般庶民をも粛清する秀吉に対し、専好は、武力ではなく生け花の力で、一世一代の戦いを挑もうと決意する…。

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時の天下人・豊臣秀吉に刃ではなく花で戦いを挑んだ華道家元・初代池坊専好の姿を描く歴史劇「花戦さ」。物語の着想を得たのは、鬼塚忠による小説だ。秀吉と茶道は、茶人の千利休との確執が有名で、しばしば映画でも描かれるが、秀吉と華道という組み合わせの作品は非常に珍しい。若き池坊専好は、立花の名手だが、ひょうひょうとした性格の花僧で、戦国の乱世で命を落とした無縁仏の前で手を合わせ小さな花を供えることで、世の平穏を願う心優しい人物である。前半は、信長の前での立花や人々に生け花を教える姿、秀吉の茶会での奮闘や口をきかないワケありの少女とのエピソードなど、ほのぼのとした人情劇のよう。

だが、秀吉が、極度の被害妄想のため、敵対する武将だけなく、自分の意のままにならない利休を死に追いやり、ついには冗談半分の陰口をたたいただけの庶民まで、粛清で命を奪うようになる後半の物語はシリアスで悲しみを帯びる。政治とは無縁のはずの専好だったが、狂気の秀吉の暴挙を止めるため、花を使った命がけの“戦い”を挑むクライマックスは、美しくも壮絶だ。終盤には、絵が得意で心を閉ざした少女・れんの存在が効いてくる。出世も名誉も興味がなく、ただひたすらに花を愛した人間が、花を武器に、命を賭けて、権力者に意見する。天下を取ろうとする信長のため、日々の暮らしを楽しむ町衆のため、秀吉から追い詰められた利休の翻意を促すため、幼くして逝った秀吉の子の魂を慰めるため。その時々の花は、すべて大切な人への美しくも強いメッセージとなって画面に現れた。主役級の俳優たちの豪華競演もさることながら、花そのものが主人公のような役割を果たしている。凛と咲く花の中に、生きる願いと平和への祈り、理不尽な権力に立ち向かう勇気が込められている映画だ。
【65点】
(原題「花戦さ」)
(日本/篠原哲雄監督/野村萬斎、森川葵、市川猿之助、他)
(勝負度:★★★★☆)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2017年6月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。