逮捕・勾留は本来は例外措置。ただ弁護人の現実は…。

憲法31条は以下のように規定しています。

何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

本条の「法律の定める手続」というのは、刑事事件では「裁判官または裁判所の発した令状に基づく手続」の意味です。これを「令状主義の原則」といい、次のように定義されています。

逮捕,勾留,捜索,押収などの強制処分は,裁判官または裁判所の発する令状によらなければ,実行できないとする原則。 強制処分の理由と必要性を公正な第三者(裁判官または裁判所)に審査させることにより捜査機関の権限濫用を抑制し,私人の人権を保護することを目的とする。

刑事ドラマで、上司が部下に「任同(任意同行)で引っ張ってこい!」と命令する場面がありますが、任意同行はその名のとおり「(令状なないけど)任意で来ていただく」という意味です。決して強制的に引っ張ってくることはできません。ですから、任意同行の場合は「署までご同行いただけますか?」と言って同意を求めるのです。

先般、任意同行であるにも関わらず9間もぶっ通しで事情聴取をし、聴取を受けた人が自殺したという事件が起こりました。ここまで来ると「令状主義の趣旨を逸脱した」と非難されても仕方がないでしょう。

ちなみに、令状によって身柄拘束が認められるのは、「逃亡もしくは罪証隠滅の恐れ」がある例外的場合だけです。刑事訴訟法には、有罪判決が下るまでは無罪と推定するという「無罪推定の原則」があります。

ですから、「無罪と推定すべき人」を拘束することができるのは、「逃亡もしくは罪証隠滅の恐れ」がある場合に限られるのです。自白を取るために身柄拘束するのはもってのほかです。

ということで、原則どおり身柄拘束を受けずに在宅起訴された被告人が昔からいます。本来であれば、もっとたくさんの被告人が在宅起訴になるのが原則なのですが、実際には在宅起訴の多くは交通事犯なのです。死亡事故だと被告人も深刻に反省しているのですが、危険でムチャな速度違反事件になると「罪を犯した」という意識が希薄な被告人が実に多いのです。

そういう被告人の国選弁護人になると、よく苦労させられます。
公判期日が迫ってきても、全く連絡が取れない被告人がいました。検察庁や警察からも連絡をしてもらったのですが、全くつながりません。国選と言えども弁護人となった以上、法廷に出頭させて反省の情を示してもらわないと立場がありません。

被告人の知人を偶然見つけ出すことができて直前に間に合い、つつがなく閉廷した時は本当にホッとしました。

また、午前10時開廷当日、被告人が現れなくて大騒ぎになった事件もありました。その被告人とは事前に打ち合わせもしっかりできており、「遅くとも15分前には法廷の前に来るように」念押ししていました。

10時15分、30分…時間は経過していきます(汗)携帯電話もつながりません。裁判官はイライラして「どうなってるんですか!弁護人!」と私に当たり散らします。「来る途中で事故にでも遭ったのかもしれません」と冷や汗を流していると、45分過ぎた頃に被告人が登場。寝坊して携帯も切っていたということした。それでも被告人を懸命に弁護しなければならないのが弁護人の使命。怒り散らす検察官と裁判官の非難を一身に耐えなければなりませんでした。

判決言い渡し日を裁判官が告げると、「その日はバイトが入っています」と被告人があっけらかんと言った時には、マジで「こいつシメちゃろうか」と思いました(笑)

「無罪推定原則」がある以上、身柄拘束はあくまで例外です。しかし、こういうトラブルが起きるたびに、「拘置所でつながれていればどんなに楽だったろう」と思ってしまいます。理想と現実のギャップは、弁護人にもあるのです。

荘司 雅彦
2017-03-16

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年6月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。