憲法に高等教育の無償化を書くことは止めた方がいい

学問の自由とか、大学の自治、教育への政治不介入の原則などを明記しないで、高等教育の無償化まで憲法に書き込むことになると、高等教育に対しての政治介入や行政介入が益々ひどくなりそうだな、という心配がある。

教育を受ける権利はすべての国民にある、どういう国民であっても等しく教育を受ける権利が認められるべきだ、などと言われると、確かに貧富の格差で教育を受けられない国民がいるのはよろしくないな、教育はすべて無償化をして誰でも気兼ねなく必要な教育を受けられるような体制を構築した方がいいかな、ぐらいの感覚になる。

しかし、教育の無償化が実現した暁に日本はどういう社会になっていくのだろうか、ということを考えると、そう簡単に教育の無償化に全面的に賛成だ、とまでは言えなくなってしまう。

カネは出すが、口は出さない、などということは現実には考え難い。
教育無償化で教育に要する費用はすべて国が負担する、ということになったら、教育にどうしても国が口を出すようになる。

国立大学の入学式や卒業式に国旗の掲揚を義務付けようとする動きがあるようだが、国旗の次は国歌の斉唱、更には教育勅語暗唱の必須化などと、次から次へと皇民化教育の流れが本格化してしまうと、あれれ、変なことになってしまったぞ、ということにもなりかねない。

義務教育段階だけでなく、高等教育の段階にまで政治や行政の介入が当然視されるようになると、学問の自由や教育の自由がいつの間にかおかしなことになってしまう虞がある。

教育はどうあるべきか、公教育はどうあるべきか、といったあたりの議論をいい加減にして、主要政党の憲法改正案の適当な擦り合わせぐらいで憲法改正案を策定したりすると、とんでもないことになってしまう虞がある。

とかく熟議を避けて、拙速に結論を出そうとしているのが、今の国会である。

どなたかブレーキを掛けた方がいいぞ、と思っているが、まだブレーキを掛けるような議論を展開される識者は現れていないようである。

私自身はとても有識者の仲間入りは出来ないが、何はともあれ、慌てない方がいいですよ、丁寧に議論した方がいいですよ、ぐらいの声を上げておいた方がいいかも知れない。

ちょっと待って!というところである。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2017年6月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。