藤井四段はAI棋士に勝てるか

長谷川 良

将棋界の記事がよく流れてくる。その中心は最年少棋士の藤井聡太四段(14)の活躍だ。同四段は21日、王将戦予選で澤田真吾六段(25)を破り、デビュー戦以来歴代第1位に並ぶ28連勝を記録したばかりだ。それにしてもすごい棋士が現れてきたものだ。

▲人間の心が分かるAIを夢見ていた英国の天才的数学者アラン・チューリング(16歳の時の写真、ウィキぺディアから)

▲人間の心が分かるAIを夢見ていた英国の天才的数学者アラン・チューリング(16歳の時の写真、ウィキぺディアから)

一方、前日、「神武以来の天才棋士」といわれてきた加藤一二三・九段(77)が引退した。歴代最年長現役棋士だった。竜王戦6組昇級者決定戦で、高野智史四段(23)と対戦し敗北。これで公式戦での対戦がなくなったことを受け、加藤九段の引退となった。

加藤九段の引退と14歳の最年少棋士の活躍を読んで考えさせられたことがある。「年齢を重ね、経験を増せばそれだけ強くなるが、経験はいつまで発展の原動力であり得るか」という点だ。

加藤九段は77歳まで現役棋士だったので、経験では他の棋士を大きく凌いでいたが、23歳の高野四段に敗北した。将棋界ではいつまで現役で活躍できるのだろうか。やはり50歳を超えると対戦で苦しくなる棋士が多いのではないか。

例外は常にあり得るが、経験が実力を向上させるのは体力的にまだ若い世代ということになる。経験が実力を向上させるためには一定の年月が必要となるが、その行く先は黄金時代とはならないわけだ。それでは経験は何のために必要となるのか。

野球選手の場合は簡単だ。体力が落ち、走力が遅くなれば引退に追い込まれる。将棋界、囲碁界は野球界ほどではないが、やはり年齢を重ねると戦いで苦戦を余儀なくされる。それでは、「これまで積み重ねてきた経験はどこへ行ってしまうのか」だ。消滅するのであれば、経験を積み重ねることに意味がなくなるからだ。

人工知能(AI)の囲碁棋士を考えてみる。AIはディ―プラーニングする。多くの経験、知識を吸収し、過去を含む全てのデータを吸収していくから、時間の経過、経験の数が増えれば増えるほど、その実力は伸びてくる。経験と実力の発展は同時並行している。人間とAIの発展線は明らかに異なっているわけだ。

世界最強豪の囲碁棋士もAIには勝てなかった。AIがデータを吸収し、全ての対戦成績を学んでいけば、数年後、どのようなスーパー棋士が出てきてもAIに勝てなくなる、といった悲観的な見通しを持たざるを得なくなる。AIは常に成長し、人間の成長はいつか止まるからだ。経験はもはや助けとはならない。

AI開発は目覚ましい。ニューロ・コンピューター、ロボットの創造を目指して世界の科学者、技術者が昼夜なく取り組んでいる。時間は人類側よりAI側に明らかに有利だ。10年後、30年後、50年後のAIを考えてみてほしい。英国の天才的数学者アラン・チューリングは人間の心を理解できるAIの開発を夢見てきたが、それはもはや遠い未来ではないだろう。

一方、人間はどうだろうか。日進月歩で発展するだろうか。知識量は確実に増えるかもしれないが、人間を人間としている内容に残念ながら急速な発展は期待できない。2000年前のイエス時代の人間と21世紀の人間の違いはあるだろうか。人間が2000年前より強靭で賢明になったとは聞かない。

このように考えると、AIが近い将来、人類を管理する時が到来すると考えても大きな間違いではないかもしれない。全ての完成品には「メイド・バイ・AI」という称号がつく一方、、ほんのわずかな商品だけが、「メイド・バイ・ヒューマンビーイング」というタイトルが与えられることになる。加藤九段は敗戦後、無言で退場したという。その後姿はひょっとしたら人類の将来の姿ではないだろうか。

ここでブログを終えれば、後味が悪いので少し付け足す。神は人類を含む全ての宇宙森羅万象を創造し、その管理人として人間を選んだ。しかし、旧約聖書が記述しているように、その管理人の人類は神の意向に反したために「エデンの園」から追放された。「失楽園」の状態から本来の「エデンの園」に戻るために、人類は自身が創造したAIを管理するという試験に合格しなければならないのかもしれない。
参考までに、人類がAIに勝てるチャンスがあるとすれば、デジタル化できないために消去される膨大なゴミデータの活用にあるのではないか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年6月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。