政治とは、決めること。そして決めるとは、自ら泥を被ること。

川松 真一朗

皆様、おはようございます。

9日間に渡るこの東京都議会議員選挙も、いよいよ本日が最終日となりました。
選挙活動期間に、こうして皆様に私の考えをお訴えするのも本日まで、明日は一切の発信がストップとなります。

わたくし川松真一朗のインターネット選挙戦では、幾つかの強い想いをもって戦って参りました。
動画チャンネル「KawamatsuTV」では、自らがアナウンサー、あるいはレポーターとなって様々な東京都の課題に注目し、独自の視点で訴えて参りました。

ツイッターやフェイスブックでは、活動の様子をリアルタイムで皆様にお届けする、速報性を重視して参りました。街頭でも「ツイッター見たよ!」多くの方にお声がけ頂きました。本当にうれしかったです。

このブログ「日に日に新たに!」では、日々考えていたことを少しずつノートに書き留め、気持ちを整理したうえで、私の考えや皆様にお届けしたいことを綴って参りました。

一昨日は、この4年間を振り返って私なりの総括を試みました。
孔子の論語に次のような言葉があります。

「吾日に我が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしかと。」

困った人の相談相手になった際、自分の心に忠実であっただろうか。
友だちや大切な人にとって、信頼して貰える自分であっただろうか。
自分が納得し十分に理解できていないことを、迂闊に人に伝えていないか。

都議会議員の一員として、自民党の一員として、そして立場や党派を超えて、政治を志した一人として向き合いました。

昨日は、政治家である以前に、皆様と同じ夫として、あるいは父親としてどうだったろうか。自分とじっくり向き合いました。その上で、この最終日、皆様にお訴えしたいことを私なりに整理いたしました。

自分にとって、政治とはいったい何なのか。
政党の一員として、そして議会人の一員として想い描く「あるべき姿」はどうなのか。
このたびの都議会議員選挙では、自民党には凄まじい逆風が吹いております。

それでも自民党の一員として皆様のご支持を頂きたいのは、なぜか。
都民だけが唯一の一番ではない、全国に想いを致すことのできる政党だからです。
先日、石破前地方創生大臣に応援演説をいただいた後、田中角栄・元総理の『日本列島改造論』を読み直しました。その結びには次のように書かれています。

明治、大正生まれの人びとには自分の郷里にたいする深い愛情と誇りがあった。
故郷はたとえ貧しくとも、そこには、きびしい父とやさしい母がおり、 幼な友達と、山、川、海、緑の大地があった。
志を立てて郷関をでた人びとは、離れた土地で学び、働き、家族をもち、 変転の人生を送ったであろう。
室生犀星は「故里は遠くに在りて思うもの」と歌った。
成功した人も、失敗した人も、折にふれて思い出し、心の支えとしたのは、つねに変わらない郷土の人びとと、その風物であった。

明治百年の日本を築いた私たちのエネルギーは、地方に生まれ、都市に生まれた違いはあったにせよ、ともに愛すべき、誇るべき郷里の中に 不滅の源泉があったと思う。
私が日本列島改造に取組み、実現しようと願っているのは、失われ、破壊され、 衰退しつつある日本人の“郷里”を全国的に再建し、私たちの社会に落ち着きとうるおいを取戻すためである。

人口と産業の大都市集中は、繁栄する今日の日本をつくりあげる原動力であった。しかし、この巨大な流れは、同時に、大都会の二間のアパートだけを郷里とする 人びとを輩出させ、地方から若者の姿を消し、いなかに年寄りと重労働に苦しむ 主婦を取り残す結果となった。
このような社会から民族の百年を切りひらく エネルギーは生まれない。

かくて私は、工業再配置と交通・情報通信の全国的のネットワークの形成をテコにして、人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させる “地方分散”を推進することとした。
この「日本列島改造論」は、人口と産業の地方分散によって過密と過疎の 同時解消をはかろうとするものであり、その処方箋を実行に移すための行動計画である。

私は衰退しつつある地方や農村に、再生のためのダイナモをまわしたい。
公害のない工場を大都市から地方に移し、地方都市を新しい発展の中核とし、 高い所得の機会をつくる。
教育、医療、文化、娯楽の施設をととのえ、豊かな生活環境を用意する。
農業から離れる人びとは、地元で工場や商店に通い、自分で食べる米、野菜を つくり、余分の土地を賃耕にだし、出かせぎのない日々を送るだろう。

少数・精鋭の日本農業のにない手たちは、二十ヘクタールから三十ヘクタールの 土地で大型機械を駆使し、牧草の緑で大規模な畜産経営を行い、くだものを つくり、米をつくるであろう。
大都市では、不必要な工場や大学を地方に写し、公害がなく、物価も安定して、 住みよく、暮しよい環境をつくりあげたい。

人びとは週休二日制のもとで、 生きがいのある仕事につくであろう。二十代、三十代の働きざかりは職住近接の 高層アパートに、四十代近くにあれば、田園に家を持ち、年老いた親を引き取り、 週末には家族連れで近くの山、川、海にドライブを楽しみ、あるいは、日曜大工、 日曜農業にいそしむであろう。

こうして、地方も大都市も、ともに人間らしい生活が送れる状態に つくりかえられてこそ、人びとは自分の住む町や村に誇りをもち、連帯と協調の地域社会を実現できる。
日本中どこに住んでいても、同じ便益と発展の可能性を見出す限り、人びとの郷土愛は確乎たるものとして自らを支え、祖国・日本の限りない結びつきが育っていくに違いない。

日本列島改造の仕事は、けわしく、困難である。
しかし、私たちがこんごとも 平和国家として生き抜き、日本経済のたくましい成長力を活用して、福祉と成長が両立する経済運営を行う限り、この世紀の大業に必要な資金と方策は必ず みつけだすことができる。

敗戦の焼け跡から今日の日本を建設してきたお互いの汗と力、知恵と技術を 結集すれば、大都市や産業が主役の社会ではなく、人間と太陽と緑が主人公となる “人間復権”の新しい時代を迎えることは決して不可能ではない。

一億を超える有能で、明るく、勤勉な日本人が軍事大国の道をすすむことはなく、 先進国に共通するインフレーション、公害、都市の過密と農村の過疎、農業の ゆきづまり、世代間の断絶をなくすために、総力をあげて国内の改革にすすむとき、 世界の人びとは文明の尖端をすすむ日本をそのなかに見出すであろう。

そして自由で、社会的な偏見がなく、創意と努力さえあれば、だれでもひとかどの人物になれる日本は、国際社会でも誠実で、尊敬できる友人として、どこの国とも イデオロギーの違いを乗り越え、兄弟づきあいが末長くできるであろう。

私は政治家として二十五年、均衡がとれた住みよい日本の実現をめざして微力をつくしてきた。
私は残る自分の人生を、この仕事の総仕あげに捧げたい。
そして、日本じゅうの家族に団らんの笑い声があふれ、年寄りがやすらぎの余生を送り、青年の目に希望の光が輝やく社会をつくりあげたいと思う。

(引用、ここまで)

東京都、そしてこの墨田区も昔ながらの地元出身の方ばかりではなく、地方から出てきて日々を懸命に、いまを生きる人が大勢います。そしてそれぞれの故郷があります。

この9日間の選挙選、私はお会いする皆様一人ひとりだけでなく、それぞれのお父さんやお母さん、おじいさんやおばあさん、あるいは弟さんや妹さん。それぞれのご家族にも想いを馳せて参りました。


編集部より:このブログは東京都議会議員、川松真一朗氏(自民党、墨田区選出)の公式ブログ 2017年7月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、川松真一朗の「日に日に新たに!!」をご覧ください。