プロレス者であり、ロック小僧である。会場に行くと、思わずヤジを飛ばしてしまう。学生時代から、自分のヤジがプロレス雑誌などに掲載される機会があり。そういえば、UWF系の団体の会場で「いい試合だ!」というヤジを飛ばす男の一人は、私だった。これまた若い頃、雑誌で紹介されたこともある。LOUDNESSのライブで、ギターの高崎晃に対して「スージー(アイドルグループLAZY時代のニックネーム)」と叫ぶのは私だし、どんなジャンルのライブでも「ついていくぞ!」と叫ぶのも私である。
さて、都議選だ。国政の話はいいから、もっと東京都のこれからを議論してくれよ、豊洲・築地もいいけど待機児童問題どうするのだよとか、国際都市としてどうするのよとか、色々言いたいことはあったけれど、都民ファーストの会の大勝というか、自民党の大敗というか、そんな結果に終わった。
もっとも、ここで議席をとった自民党の候補者の強さを感じたり、公明党の安定感、共産党がじわじわ増えている感、民進党のなかったことになっている感というか大敗っていうか完敗というか不戦敗というか。自民よりこっちだろ、などなど。都民ファーストの会への投票は積極的な支持なのか、熱病なのか。これもまた、消極的な支持なのではないかと思い。
教え子が選挙のボランティアを頑張っていたこと、この手の選挙に元リクはよく出るが(私の知るかぎり、3人出て2人当選しており)、珍しく元バンダイも出馬していて(政治家のご子息なのだけど)当選していたのも個人的トピックスだった。
選挙のたびに、亡き父を思い出す。脳腫瘍で闘病中で、身体が不自由だったのだが、選挙番組にかじりつき。実に気持ちよさそうにタバコとコーヒーを嗜む父だった。
それはそうと、安倍晋三へのヤジ問題だ。その場にいたわけではないし、ヤジやコールが組織的なものだったという説など、諸々飛び交っているのだが・・・。「こんな人たち」と言ってしまったことは、大きな汚点ではないかと思っている。もっというと、ヤジへの対応の仕方だ。本当に長年政治家をやってきた方なのかと呆れてしまった。
政治家はヤジと向き合って、ナンボだというのが、私の持論である。もちろん、人権を侵害するようなヤジは論外だ。以前、まさに自民党の都議によるセクハラヤジが問題になったが(その議員は当選していたな)、この手のものは許されてはならない。
もっとも、選挙において、庶民が(プロ市民だったという説もあるがだったとしても)ヤジを飛ばすのは、これはこれで表現手段、意思表示の一つなのではないか。もちろん、何度も言うように人権を侵害するようなものや、明らかに選挙妨害になるようなものはNGなのだが。
このヤジに対する対応もまた、政治家の資質が問われるものではないか。これに対して、ウィットに対応すれば、知的な印象を与えることができるし、その人の出すオーラなどで黙らせることだってできるのではないか。
今回のヤジへの対応で、安倍一強と言われる中で、批判に慣れていないのではないか、支持者に囲まれたぬるま湯にいるのではないか、そもそもこの手のツッコミに知的に返すことに慣れていないのではないかと思った次第だ。
だいたい議会では、前出のようにいつもヤジが飛び交っている。自民党議員がどれだけヤジを飛ばしているのか、わかっているのか。
芸能人上がりの自民党の国会議員が「批判なき選挙、批判なき政治」なんてことを言った。笑止千万の妄言である。選挙には、政治には、建設的な批判、いや建設的ではなくても生の声が必要だ。まあ、彼女は所詮、元芸能人だし、あまり考えずに言ったのだと思うが。批判する選挙、批判する政治の何が悪いのか。問題は、野党議員も、庶民も批判が生ぬるいことだ。自民党が強いのではない。野党と庶民が弱すぎるのだ。まあ、これで都議会では自民党も野党なのだが、
ヤジとは言わないまでも、会社員の世界でも、学者の世界でも常に批判やツッコミはあるものだ。プロレスのマイクアピールやヒップホップを見習って、ウィットに富んだ返し、オーラによるヤジ封じを学びたいところである。
ヤジとは言わないまでも、社会にはもっとツッコミが必要だ。先日の霞が関での勉強会でも宣言したが、私は遠い席からヤジを飛ばし、時にペットボトルを投げつけるプロレスファンのように、ついついある方向に流れがちなこの国において、批判して、批判して、批判することを大事にしたい。別に対案なんていらないのだ。
最新作、よろしくね。ここでも批判しまくっているよ。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年7月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。