東大法学部の「恥部」の精神分析:『ほんとうの憲法』

池田 信夫


日本政府のエリートのほとんどが東大法学部卒なのは、世界でも珍しい現象である。それは彼らの偏差値が高いのだから当然だと思う人が多いだろうが、ほぼ偏差値の同じ東大経済学部はエリートになれない。経済官庁や中央銀行の幹部に(経済学の基礎知識をもたない)東大法学部卒が多いのは異常で、日本の経済政策が失敗する原因だ。

彼らがエリートになるのは、東大法学部が法解釈を独占しているからだ。公務員試験も司法試験も、東大教授の解釈を書かないと合格できない。それは彼らの解釈が正しいからではない。閣議決定がクーデターだという石川健治教授の解釈は、笑い話にもならない。彼が出世できたのは、東大憲法学の教義を盲信して復唱したからだ。

彼らの知的権威を支えるのは「戦時中に東大法学部は時局迎合しなかった」という神話である(経済学部は全滅だった)。その英雄が美濃部達吉だが、彼は明治憲法の「国体」を信奉し、GHQの憲法改正案にも反対した。彼の天皇機関説は、高等文官試験にも出題された明治憲法の「裏の国体」だった。

その弟子の宮沢俊義は、1930年代にはケルゼンに依拠して美濃部の天皇機関説を批判していたが、戦時中は時局に迎合して意味不明の講義をするようになった。日米開戦を「来るべきものがついに来たといふ感じが梅雨明けのやうな明朗さをもたらした」と歓迎した。

彼は1946年に明治憲法を微修正する政府の「松本案」を書いたが、それがマッカーサーに否定されると、一転して「8月革命」を提唱した。その元祖は丸山眞男だが、宮沢はそれを拝借して「新憲法は国民が主権者になる革命で制定された」という荒唐無稽な説を唱え、護憲派のリーダーとなった。彼は戦時中の自分の罪を消すために憲法解釈を私物化したのだ

宮沢の説は芦部信喜とその弟子に伝承されて、憲法を神聖なものとして護持する戦後日本の国体となり、それに異を唱える者は東大法学部の教授にはなれなかった。そこでは「裏の国体」としての日米同盟は無視され、「集団的自衛権は違憲だが個別的自衛権は合憲だ」という支離滅裂な解釈が学界や官界の主流となり、同じく戦争犯罪を消したい新聞も合流した。

本書はこうした東大法学部の恥部を、文献で実証的に明らかにする。その骨格は名著『集団的自衛権の思想史』と同じだが、この異常な学問的伝統がいかに形成されたかの深層心理を明らかにする、いわば憲法学者の精神分析である。それはドイツの知識人が今もハイデガーやシュミットを引用できないトラウマと似ている。

精神分析で過去が暴かれると大した話ではないように、ガラパゴス憲法学者の秘密も宮沢の時局迎合というつまらない話だが、そのために彼らが70年以上にわたって国際法を無視した憲法解釈を伝承し、多くのエリートに欺瞞的な戦後日本の国体を護持させた罪は大きい。

著者は現在の憲法でも自衛隊は違憲ではないとの立場だが、このように歪んだ解釈が広まってしまった今は、それをリセットするために改正したほうがいいと結論する。夏の合宿では、こうした戦後日本の欺瞞についてもみなさんと一緒に考えたい。