自衛隊は「日陰者」のままで戦ってくれるのか

池田 信夫

著者の提唱した「今の憲法に自衛隊を書き加える」という憲法改正案が、安倍首相案の原型になったらしい。元自衛官の著者がこんな微修正を提案するのは意外だが、その理由は自民党がどこまで本気なのか、はっきりしないからだ。安倍首相は積極的だが、政権の足元がふらついてきた。彼以外の自民党「ハト派」は池田勇人以来、改正をまじめに検討したことがない。

おかげで国民の意識の中に、深刻な「ねじれ」ができてしまった。野党も自衛隊を認める一方で、学校の教科書ではいまだに「自衛隊は憲法違反だ」と教えている。こういう教育を受けた子供は自衛隊を敵視し、自衛官の子を「人殺しの子供」と呼ぶ。吉田茂元首相は、1957年に防衛大学校の卒業生にこう訓示したという。

君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく、自衛隊を終わるかもしれない。しかし自衛隊が国民から歓迎され、チヤホヤされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し、国家が混乱している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ

この状況は震災などの災害出動でかなり変わったが、それは自衛隊の「本業」ではない。いまだに「防衛費は人を殺すための予算だ」という国会議員もいる。自衛官は「日陰者」といわれたままで、戦場で生命を危険にさらすだろうか。

少なくとも自衛隊を憲法に位置づけ、軍法会議や文民統制の体制を整備しないと危険だ。今のままでは、自衛官が戦争で敵を殺したら刑事訴追される。南スーダンで起こったのが「戦闘」か「武力衝突」かをめぐって国会で神学論争が続くような状態では、朝鮮半島で戦闘が起こったら大混乱になる。

著者も憲法の抜本改正が望ましいと考えているが、現状では国会でぎりぎり2/3で発議しても、国民投票で多数の賛成を得られない。最小限の改正でいいから自衛隊を憲法に位置づけて不毛な憲法論争を終わらせ、一貫した国防体制を整備しないと、取り返しのつかないことになるリスクが大きい。

アゴラの夏の合宿では、著者のほか田原総一朗さん、前原誠司さん、片山杜秀さんなどをお招きして、日本の「国のかたち」を考える。

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