テロの脅威はとどまるところを知らず拡大する
かつては、米ソの二超大国が、お互いに全人類を破滅させるに足るだけの核兵器を実戰配備し、キューバ危機のような一触即発の危機もありました。現在はこの種の危機は遠のいたとはいうものの、未だ完全になくなったわけではなく、また、それ以上に、比較的小さな勢力による武力抗争やテロ活動が世界中で頻発し、それが果てしなく積もり積もって、全人類の破滅へとつながっていくリスクがないとは言えません。
問題は、かつては「刃物を振り回して数十人を殺傷する」程度で収まっていたテロが、現在は「自動小銃の乱射」や「爆発物を体に巻きつけての自爆」が主流になっていて、殺傷の規模が一桁上がっていることです。この程度で済めばまだ良いのですが、今後、小型の核兵器、化学兵器、生物兵器の管理体制が緩み、これが小規模の集団の手に渡るような事態になると、もはや我々は、どこにいても安心はできなくなります。
狙われるのは、旅客機にとどまらず、クルーズシップや高速鉄道にも及ぶのは勿論、ありとあらゆるイベントが、「そこに多くの人が集まる」というただそれだけの理由で、テロリストの標的となります。人質をとって交渉するというハイジャックは、成功の確率が低いですが、「大勢の人達を殺傷して快哉を叫び、世間に警告を与える」ということだけが目的となれば、そのような試みを事前に察知することも、寸前に抑え込むこともほとんど不可能になるでしょう。
そうでなくとも、テロは、仕掛ける側に比べ、防御する側に十倍も百倍もの金と時間がかかります。これに要する社会コストは膨大なものになり、しかも「人権侵害」とか「言論弾圧」とかの非難を注意深く避けながらの対策が求められるので、効率は更に低くなるでしょう。将来の人間社会は、果たしてそれに耐えられるでしょうか?
監視社会は避けられない
テロを防ごうと思えば、すべての人を疑い、色々なところに関門を作って、所有物をチェックするしかありません。これは現在も既に色々なところで行われており、多くの人達の怨嗟の的になっていますが、これをやめろという人は滅多にいません。殆どの人が「テロの犠牲になる確率が減るのなら、少しぐらいのことは我慢しよう」と思っているからでしょう。
一般人の怨嗟を最小化しながら、テロを事前に防止しようとすれば、第一に「疑う対象になる人を絞り込むこと」が必要であり、第二に「武器や爆発物、その他、人を殺傷する仕掛けの材料になりうるすべての『モノ』の移動をチェックすること」が効果的です。つまり、人と「モノ」の監視体制を現在の二桁(十倍)以上、或いは、三桁(百倍)以上に上げることです。
現在の大都市には至るところに監視カメラがあり、我々の日常は既に徹底的に監視されています。しかし、現実に、犯罪捜査に際しての監視カメラの貢献度は極めて大きく、多くの犯罪者の検挙に大きな成果を上げていますので、「監視カメラ絶対ハンターイ」という人は今は皆無です。
「モノ」のチェックの方が、人のチェックよりは抵抗が少ないでしょうが、結局は「誰が、どんな目的で、その様な危険なものを買ったのか?」を探るのがポイントですから、とどのつまりは「疑う対象になる人」を絞り込むのと同じことになります。
かつては、疑う対象者が決まると、そのそれぞれを私服の警察官等が尾行するしかなかったので、そのコストは膨大であり、対象者を徹底的に絞り込まざるを得なかったわけです。しかし、現在は、監視カメラと携帯電話システムを有機的に組み合わせることにより、このコスト効率は飛躍的に上がりました。
プライバシーの問題は「発想の転換」で解決出来る
しかし、そうなると、「自分のすべての行動が、電話やメールでの色々な相手との交信の内容までも含め、誰かに把握されているかもしれない」ことを意味するので、プライバシーの侵害に最も寛容な人といえども、不安が増大することは避けられません。オーソン・ウェルズの描いたような「陰鬱な監視社会」に対する警戒感が、人々の間に広まり、強い反対論がすべての議論をブロックしてしまうでしょう。
リベラル系の人たちは、何故か「権力・イコール・悪」という「昔ながらの考え」に未だに支配されているケースが多く、従って、権力機構が行うすべてのことに対する警戒感が大きいのが普通ですが、もし権力機構が有効に機能しなければ、この世界は無法地帯になってしまいます。残念ながら、防犯機構を無力にしてしまえば、「自由が失われるのを心配する前に、自分達の生命自体が失われてしまいかねない」というジレンマが、常に生まれてくるのです。
しかし、ここには、一つの突破口があります。「監視という権力行使」はAIに任せ、人間には関与させない様にするというのが、その解決策です。こうすれば、「権力者の恣意により一般市民のプライバシーが侵害される」という事態は完全に防止できます。
AIは、密閉されたデジタル空間の中で、「個々の人間がそれぞれに守りたい個人的な秘密」を含め、すべての情報を掌握しますが、法律に定められた条件を満たさない限り、これを外部に閲覧させることは絶対にしません。従って、どんな権力者といえども、「犯罪の捜査」や「犯罪の事前防止」の目的以外には、この情報にはアクセスできないのです。
具体的な仕組み
具体的には、こういうことになります。
AIがある人について得た情報を総括して、その人にテロなどの犯罪を犯す可能性があると判断した時には、所轄の警察組織などに、その人の毎日の行動を注視する様、特別の指示を出します。しかし、実際に犯罪が起こり、犯人が逮捕されて裁判にかけられる時点までは、その理由となった事実関係は明かしません。従って、疑われたその人が無実であった場合には、その人のプライバシーは永久に開示されることなく、完全に守られるのです。
人間は、残念ながら、どんな場合でも完全には信頼できない存在です。従って、AIは、人間の手の届かないところに隔離され、自らは感情や欲望は一切持たず、AI自身の中に組み込まれた「価値観(倫理感)」と、それに基づく「規範」にのみ従って行動するようにせねばならないと、私は、近著「AIが神になる日」の中でも、繰り返し強調しています。
もし「AIによる犯罪防止システム」がこの様な形で実現できれば、そしてあなた自身には法を犯す意図が全くないならば、如何に徹底した監視システムがあなたの周りに張り巡らされていようとも、あなたのプライバシーは常に完全に守られ、何人もあなたのプライバシーを他の人達に洩らしたり、それによってあなたに辱めを与えたりする様なことは一切できません。
この様なシステムを実際に構築するまでには、勿論時間がかかりますし、新たな技術開発も必要となるでしょう。しかし、「集められた情報を完全に隔離して、法に則った手続きを踏まねば誰にも閲覧できないようにする」ということまでなら、技術的にも法的にも、今すぐにでも実現できるでしょう。(エストニアの電子政府システムなどは、かなりいい線までいっています。)
この様なシステムを、今すぐにでも世界規模で構築しては?
折しも「共謀罪の議論」が盛り上がっている現時点では、この様な現実的で前向きのアイデアは、今すぐに検討にかかっても早すぎることはないと思うのですが、如何でしょうか?
一旦、万人の不安が解消されるような基本的なシステムが完成したら、次は、犯罪防止の実効性が上がるように、徐々にシステムを高度化していくことだけです。国民総背番号制の徹底は勿論、パスポート、運転免許証、健康保険証、等々、すべてのIDは電子化され、これらが、国中で使われているすべてのパソコンやタブレット、スマホやガラケーとも紐付けられるべきです。
システムの国際的な標準化と、各国の警察システムの連携も欠かせません。テロリスト側の国際的な連携は既に始まっているので、防御側もモタモタしているわけにはいかないのです。
「AI自体が全世界で一つのものにならないと、人類を破滅から救うことはできない」というのが私の持論でもありますが、それを実現する為には「鶏(各論)」から入るのが良いのか、「卵(総論)」から入るのが良いのかは、未だにどちらとも言えません。
世界中がテロの脅威に慄いている現在、「世界的な犯罪(テロ)防止網」という「鶏」を生み出すことに、まずは集中してみようというのも、一つのアプローチかもしれません。これに反対する人達は、如何なる根拠によって反対するのか、全世界の一般市民を対象に聞いてみたいものです。