内館牧子氏の名著「終わった人」は、城山三郎氏の「毎日が日曜日」のように定年退職後の人物を描いたものです。しかし、「終わった人」の主人公は、定年退職後にIT企業の経営に携わったり美しきアラフォー女性に恋したりと起伏に富んだ人生を歩むので、読んでいて飽きさせません。
「毎日が日曜日」は定年退職した人物の職場の部下(?)目線で描かれており、そのような刺激はあまりなかったと記憶しています。ネタバレになるのでこれ以上は触れませんが、「終わった人」は軽快な文章でグングン惹きつける内容で、年齢や性別を問わずオススメの一冊です。
とても印象的だったのは、主人公が昔の同級生と一緒になる機会があり、「60歳を過ぎてしまえばみんな同じようなものだ」という趣旨のことを主人公が思ったことでした。かなり昔に読んだ林真理子氏の「不機嫌な果実」でも、「結局はどの男と結婚しても同じ」という内容であったと記憶しています。結婚も人生も、もしかしたら最後は「結局みんな同じ」ようなものなのかもしれません。
かくいう私の大学の同級生たちも、大臣や博士はもとより(博士号を持っている人物はいますが)メディア等で目立った活躍が報じられたり大金持ちになった人物は、今のところ一人もいません。
司法研修所で同じクラスだった人物の中には、(私の知る限りでも)横領で逮捕された元弁護士や女性被告人に破廉恥行為を行った元裁判官がおり、大学の同級生や長銀の同期生よりも社会的問題を起こしているという皮肉な結果になっています。当時の司法試験は異常に難しく(合格率2%前後で、運良く合格できた者でも平均受験回数6回以上)、合格しただけで自分が偉くなったと錯覚してしまったのかもしれません。
このように、横道に逸れる場合を除けば、結果的にそれほど違った人生に行き着く確率は、もしかしたら極めて少ないのかもしれません。
就活時、東京海上に就職した1年上の先輩が「大企業の役員になれるのは天文学的確率だぜ」と教えてくれましたが、蓋を開ければまさにその通りでした。ほとんどの人たちにとって、道のりは多種多様であっても、行き着くところにあまり差異はないのかもしれません。
裁判も、(よほど珍しい事件でもない限り)大抵は予想していたところに落ち着き「結局みんな同じ」に落ち着くケースがほとんどです。たまに、予想できなかった爆弾が落ちてきて大きく軌道修正しなければならない事態もありますが…。
タレントになれる人や政財界で一目置かれる人、大金持ちになれるのは天文学的確率でした(宝くじに大当たりしても2億円の小金持ちです)。
ただ、SNSで自撮り写真を毎日のようにアップし、「いいね」がたくさんつくと有名人の仲間入りできたと錯覚する人も中にはいるのでしょう。仮に錯覚であっても、精神的な幸福感を味わえれば大きな効果があると思います。無料で大きな満足感が味わえる、とてもいい時代と言えるかもしれません。
しかし、悪い意味で有名になるのは簡単です。
犯罪などの横道に逸れれば誰でも有名人になれます。ただし、それは絶対にお勧めはしません。自分自身にとっても、親兄弟親族友人たちにとっても、代償があまりにも大き過ぎるからです。
ただ、友人のフリをしている人たちにとっては、あなたが悪い目立ち方をすることを心から喜ぶ人がいるかもしれません。
外資系企業に勤めていた夫を殺して死体をバラバラにしたセレブ妻事件の時、彼女の電話を録音してメディアに売った彼女の友人たちがいたそうです。中には、作家のところに売り込みに行って「これは僕だけしか知らない事実です。著作権も印税も僕がもらいます。あなたはヒット作を書いた作家として注目されます」と持ちかけた友人(?)もいたそうです。
しかも、断られると、懲りずに同じ提案を複数の作家やメディア関係者にしていたそうな…。
彼にとっては彼女の事件が自分を有名人にする大きなチャンスだったのかもしれません。悪い友人(もどき)が自分の過ちをネタにして目立とうとすると想像すると、それだけで横道に逸れることが不愉快になりませんか?
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年7月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。