改憲議論が高まっているいま、過去の歴史に真摯に向き合うことには大きな意味がある。私たちが学校で学んできた歴史とはなんだったのか。この難しい議論について世界史、とりわけユーラシア文明史観から論じることは重要である。
今回は、歴史学者(専門は東洋史)として活動する、宮脇淳子(以下、宮脇氏)の近著『どの教科書にも書かれていない 日本人のための世界史』(KADOKAWA)を紹介したい。日本人が学ぶべき世界史とはどのようなものだろうか。
「満洲」の歴史的背景について
――世界中のどの国においても、自国の歴史には独自の見解や主張が反映されるものである。しかし、日本においてはそれが許されなかった。本記事では、宮脇氏の論説などを交えながら歴史の一部を掘り下げていきたい。
「清の太祖と言われるヌルハチは、1559年、明が建州女直(明末清初に遼東に居住していた女直)に置いた三衛の一つである左衛の一部族長の家に生まれました。1588年、ヌルハチが建州三衛を統一し、これをマンジュ・グルン(国)と称したと言われています。1599年にモンゴル文字を借りて、満洲語の書写しがはじまります。」(宮脇氏)
「俗説に、『満洲(マンジュ)は、文殊菩薩のマンジュシリが語源』というものがありますが、ヌルハチは仏教徒ではありませんし、昔の女直にマンジュという人がいますので、これは史実ではありません。」(同)
――宮脇氏は次のように続ける。
「マンジュという固有名詞を漢字で書いたのが『満洲』です。満洲は、最初は種族名のことで、土地の名前ではありませんでした。1809年に江戸時代の天文学者である高橋景保が作成した『日本辺界略図』では、1689年にロシアと清朝のあいだで結ばれたネルチンスク条約による国境線がはっきり示されています。」(宮脇氏)
「アムール河(黒龍江)を挟んだ清朝領を『満洲』、『ヲホッカ海(オホーツク海)』の対岸を『西百里亞(シベリア)』と記しています。万里の長城の南側は『漢土』とあり、その北方には『蒙古』の文字があります。さらに、それらの文字よりやや大きな字で『支那』と記されています。」(同)
――宮脇氏はこれらの、歴史的な事実から見えてくるものがあると次のように述べている。
「州」と「洲」では意味が異なる
「すでに当時の日本(江戸時代)には、中国大陸の地名として、『支那』が広まっていたことを示すものです。ドイツの医師・博物学者であるシーボルトによってヨーロッパに持ち帰られ、『ニッポン』(全7巻)として1832年にオランダで刊行されています。『満洲』の地名は日本が起源ということになります。」(宮脇氏)
「ところで、『満洲』には、さんずい(氵)がついています。女直人は、シナに古くからある五行説を取り入れていました。自分たちは水に縁がある王朝であると考えて、国号にも清という漢字を選びます。また、満洲語の言葉を音訳するときにも、すべて、さんずいのつく漢字を選びました。」(同)
――さんずい(氵)の有無で意味はどのように変わるのだろうか。
「さんずいを抜いた、『州』にすると、『満族の土地』という意味になり、固有名詞ではなくなります。言葉の成り立ちが違うのです。戦後、過去を否定するような意味で『満州』と書き換えてきたなら、元の意味が異なりますから注意しなければいけません。日本だって東京駅の南口に、八重洲という漢字を残しているではありませんか。」(宮脇氏)
――日本の教科書は、GHQが押し付けた歴史そのものだと、宮脇氏は主張する。よって、不都合な事実や見解は抜け落ちている。例えば、「通州事件」などは教科書に記載されない。また、多くの日本人がそのことに気づいていないことを憂慮している。
本書が興味深いのは、単なる批判家ではないところにある。真摯に歴史と向き合い、溝を埋めるべく封印された事実を掘り下げている点にある。そのうえで、私たちが学ぶべき歴史を丁寧に伝えている。過去に、満洲国という国がそこには存在した。
「世界史」を正しく理解することには大きな意味がある。そこにはいったい何がみえてくるのか。誰も挑もうとしなかった難問を、宮脇氏が鮮やかに解き明かしている。なお、本記事用に本書一部を引用し編纂した。
参考書籍
『どの教科書にも書かれていない 日本人のための世界史』(KADOKAWA)
尾藤克之
コラムニスト
<第6回>アゴラ著者入門セミナーのご報告
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次回の著者セミナーは8月を予定。出版道場は11月を予定しております。
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