7月11日にペルーのペドゥロ・パブロ・クチンスキー大統領とケイコ・フジモリ人民勢力党党首が会談をもった。ペルーに蔓延る汚職への取り組みと、後退する経済の立て直しについて協議する為であった。
蔓延る汚職に関して、ウマラ前大統領と妻のエレディアまでも収賄と資金洗浄の容疑で最近逮捕された。同じく、汚職容疑で逮捕状が出ているトレド元大統領は米国に滞在中で、ペルー政府は米国政府に彼の身柄の引き渡しを要請している。
また、最近のクチンスキー大統領はアルベルト・フジモリ元大統領の恩赦を口にするようになっている。この両者による会談でも、この件についても話題にした模様だ。しかし、昨年の大統領選挙戦中のクチンスキーは彼と同年齢78歳のフジモリ元大統領の恩赦の可能性は否定していた。
大統領の私見に変化が見られるようになった理由は、ケイコ・フジモリが率いる「人民勢力党(Fuerza Popular))が73議席をもっており、一院制共和国議会の定員130議席で過半数を占めていることから、彼女の政党の支持無くして如何なる政策も立法も議会の承認を得ることが出来なくなっているからである。因みに、クチンスキーの「変革の為のペルー国民党(PPK))」は僅か18議席しかもっていない。また、フジモリ元大統領の恩赦に反対していた一部議員の間でも恩赦に反対しないという意向を表明するようにもなっている。
筆者が今回アルベルト・フジモリに触れるのは、彼が二重国籍者であるということについてである。
アルベルト・フジモリは1990年に大統領に就任。その後、2選までしか認められていないペルーで、2000年には憲法の解釈を歪めて3選を果たした。その時点で、国民の間で、彼の独断政治に批判が高まった。それに加えて、彼の側近であったウラジミロ・モンテシノス国家情報局長の汚職が発覚して、アルベルト・フジモリもそれに絡んでいると批判されるようになり、野党議員や市民は彼の辞職を求めるようになっていた。
ペルー国内で反フジモリの動きが活発になっていく中、同年11月13日にブルネイで開催されたAPEC首脳会議に出席したあと、16日に彼は訪日するのである。そして、その翌日、ペルーにファックスを送信して自らの大統領として辞任を伝えた。それに対して、ペルー政府は彼に罪状を科して日本政府に彼の身柄の引き渡しを要請したのである。
これに対して、日本政府は彼が「日本国籍保持者である」として、身柄の引き渡しを拒否。その根拠は彼がペルーで出生した時に、彼の両親が当時のペルーの首都リマの日本領事館に出生届を出して、それが熊本県の彼の両親の里の戸籍に入籍されているという理由からであった。
アルベルト・フジモリが日本人であると知らされた当初、ペルー国民の多くは、困惑し、深い懐疑心に包まれて、多くの国民は「今世紀最大の詐欺にあった犠牲者だ」と感じたということが2001年1月15日付の電子紙『SEMANA.COM』が伝えている。
更に、同紙がペルーの二人の憲法学者の意見を掲載している。、先ず、フランシスコ・エギグーレン・プラエリは「フジモリ前大統領はペルーで生まれているということから、彼はペルー人である」と指摘している。「問題は、彼の両親が日本領事館に彼の出生届を提出していることから、自動的に彼は日本国籍を有することになる」とも述べた。
ペルーの大統領に成るために、ペルー人でありながら、同時に日本人であるという二重国籍禁止の法を犯したのであろうか?という疑問に対して、同氏は「大統領に成るには、ペルーで生まれたということが必須であると憲法で規定されている。フジモリはその通りペルーで生まれている」と答えた。更に、彼が指摘しているのは「問題は、同時に他の国籍を取得したが、その一方を放棄せずに大統領に就いたということにある」としている。そして、最後に「フジモリ大統領の政権が決めた全ての決議に議論の余地はない。彼は国民によって選ばれたのであるから」と締めくくった。
エギグーレン・プラエリの回答は問題の核心を避けようとする回答になっている。その核心とは、アルベルト・フジモリが二重国籍を取得したままで、ペルーの大統領になったことが違憲か否かということである。仮に違憲であるとした場合に、彼の10年間の政権で署名した法案などが正式に法制化することが出来るのかといった疑問である。それに答えているのが、次に紹介する憲法学者ハビエル・バーリェ・リエストラである。
リエストラが導こうとしている結論は、アルベルト・フジモリはペルー人ではなく、日本人だということである。彼の考えでは、「アルベルト・フジモリは悪意で自らの本当の身分を隠した」と指摘し、1933年の日本帝国憲法施行下で彼が誕生したことを挙げて、それによると、「外国(日本の)国籍を取得した時点で、ペルー国籍は失うことになっている」と述べた。「両親の日本国籍を幼少時から取得していたということは、(日本帝国憲法では)ペルー国籍は失ったことになる」と述べている。
そして、「彼が署名した法律の正当性について問題になる」と指摘し、「彼の政権放棄6か月前までの法律は憲法裁判所によって無効化されたのは幸いである」と述べた。更に同氏は「10年の間、完ぺきなる日本人に(国政を)任せたのは何たる恥であろうか」と表明した。
アルベルト・フジモリは既に10年服役している。首都リマ郊外の警察管轄の施設内で生活している。健康状態はデリケートで高血圧、しかも舌ガンで6度も手術している。最近は椎間板ヘルニアと出血を伴う胃の炎症で入退院を繰り返しているという。
ケイコ・フジモリは政治的影響力を行使して父親の恩赦を手にするということは公に否定している。一方、弟で議員のケンジ・フジモリは父親の恩赦を実現させたいと表明している。
歴史というのは皮肉なもので、逮捕状が出ているトレド元大統領は正に彼が大統領の時にアルベルト・フジモリの身柄の引き渡しを日本政府に要請した人物である。そのトレドが現在クチンスキー大統領から米国政府に彼の身柄の引き渡しを要請されているのである。歴史とは皮肉である。