時代が昭和だったころ、野球に暴力はつきものだった。監督が選手に喝をいれる、上級生が説教をする。どこの野球部でも日常的に見られた光景だった。時代は変わった。現在、野球の指導の現場で、暴力を正面から肯定する人はまずいない。しかし、暴力事件はあとを絶たない。暴力はいまでも野球の身近にある。
当時は「練習中は水を飲むな!」「“うさぎ跳び”で足腰を鍛えろ!」「エビ反りで背筋を鍛えろ!」「バッティングの基本はダウンスイングだ!」「ピッチャーは肩を冷やすな!」という迷信が信じられていた時代である。スポ根漫画の影響と思われるが、いまでは、科学的に裏づけされたトレーニングが一般的に浸透してきている。
今回は、『殴られて野球はうまくなる!?』(講談社)を紹介したい。著者、元永知宏(以下、元永氏)の略歴を簡単に紹介する。大学卒業後、“ぴあ”に入社。関わった書籍が「ミズノスポーツライター賞」優秀賞を受賞。その後、フォレスト出版、KADOKAWAで編集者として活動し、現在はスポーツライターとして活動をしている。
これは暴力なのか愛のムチなのか
本書でも紹介されている、『長嶋監督20発の往復ビンタ』(小学館文庫)は、元巨人軍のエース、西本聖投手が引退後に書いた書籍である。1965年から9年連続日本一を達成した巨人軍を、川上哲治から監督を引き継いだのは、「ミスタープロ野球」こと、長嶋茂雄氏だった。しかし、監督1年目の1975年は最下位に沈むことになる。
若手の育成を目指した長嶋監督が鉄拳をふるったエピソードが残されているので、簡単に紹介したい。当時の西本投手は、まだ期待の若手の1人に過ぎなかった。広島カープとの一戦で3連続死球を与えたあと、ノックアウトされた。試合は引き分けに終わったが、リリーフした角光男(現・盈男)とともに監督室に呼び出された。
監督は腰にバスタオルを巻いただけの姿で近づいてきた。「おまえらは!」、いきなり強烈なビンタが飛んできた。腹筋に力を入れて踏ん張っていると2発目が飛んできた。続いて角にもビンタが飛んだ。「おまえらは、命まで取られるわけじゃないだろう!ビビッて投げやがって!」、そう叫ぶと監督はまた平手でたて続けに殴った。
「根性のないピッチングしやがって!」「逃げるなって言ってんだろ!」。西本氏は受けた鉄拳について次のように後述している。「ビンタは“制裁”などという月並みなものではなかった。愛のムチに近かった。『お前たちにこれだけ期待し、チャンスを与え続けてるのに』という思いが一発一発にこめられていた」と。
これは果たして暴力なのだろうか、それとも愛のムチなのだろうか。西本氏は、1980年から6年連続で二桁勝利をマークする。1981年には沢村賞も受賞、日本シリーズでもMVPに選ばれた。プロ通算で165勝128敗17セーブ、防御率3.20、1994年、長嶋監督をつとめる巨人軍で20年間のプロ野球人生を終えている。
当時のPL学園はなぜ強かったのか
――西本氏が活躍していた頃、高校野球の主役だったのは大阪のPL学園高校だった。当時、既に春夏合わせて7度も全国優勝を果たしていた。
「1978年夏に初めての全国優勝を果たします。1983年夏には桑田真澄・清原和博の1年生コンビの活躍で優勝。1985年夏、桑田・清原の『KKコンビ』が活躍して最後の夏を制します。1987年には立浪和義、野村弘樹、片岡篤史、宮本慎也など、のちにプロ野球でもスターになる選手を揃えて春夏連覇を達成します。」(元永氏)
「PL学園野球部の厳しさは高校野球でも群を抜いていました。そして、OBたちは次のように証言しています。清原和博、立浪和義、宮本慎也のようなスターでさえ『1億円もらってもPLの一年生には戻りたくない』と言っているのです。」(同)
――厳しい練習や特訓、このような環境下に耐えることが、甲子園における勝負強さにつながっていたることは誰もが知るところだ。元永氏は「この類のテーマは難しいですが、理性的に掘り下げて議論することが必要ではないかと思います」と語る。そのための問題提起ができればと思い上梓したとのことだ。
誤解のないように申し上げておく。決して、暴力を肯定しているのではない。本書では、実際に野球の最前線で戦う野球人などの証言をもとに、野球と暴力との危うい関係をひもといていく。本書は元永氏が取材などをおこない、それらの証言を元にまとめたものである。また、本記事用に本書一部を引用し編纂した。
参考書籍
『殴られて野球はうまくなる!?』(講談社)
尾藤克之
コラムニスト
<第6回>アゴラ著者入門セミナーのご報告
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次回の著者セミナーは8月を予定。出版道場は11月を予定しております。
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