韓国聯合ニュースが4日、仁川発で報じたところによると、「日本の植民地時代に強制徴用された労働者を象徴した労働者像の除幕式が12日、仁川で行われる。像は植民地時代の軍需工場があった場所の向かいに位置する公園内に設置される。同公園には慰安婦を象徴した少女像が既に設置されている。像は横幅4メートル、高さ3メートルで、植民地時代の父と娘の労働者をモチーフにした」という。
このニュースを読んで、韓国民族の根深い反日感情に改めて衝撃を受けると共に、韓国社会に広がる一種の“告発”文化に危惧と懸念を感じる。
韓国でなぜ「労働者像」や「少女像」が建立されるのか。問題はその建立の目的だ。両像はいずれも日本の植民地時代、“強制労働、強制売春をさせられた韓国人”を象徴している。その像はソウルの在韓国日本大使館前を皮切りに、釜山、仁川など主要都市に設置済みか今後建立される。
大きな災害や出来事が発生した所、戦争跡の場所には慰霊碑、慰霊像が建立されている。その目的はそれらの出来事の犠牲者を慰霊することにある。しかし、韓国の「慰安婦像」や「労働者像」の場合、犠牲者への慰霊というより、明らかに「われわれを犠牲にした日本」を告発する目的で建立されている。「日本がわれわれを強制労働させ、犠牲にした」、「日本軍がわれわれの娘を慰安婦にした」といった恨みを表現した像だ。そこには肝心の犠牲者への慰霊が欠けている(日韓両国は1965年、日韓請求権協定を締結済み。生存中の慰安婦に対してはアジア女性基金などを通じてを財政支援してきた)。
「少女像」や「労働者像」が悲惨な人生を過ごした人々の魂を慰霊するために建立されたものならば、「少女像」や「労働者像」の設置問題は日韓両国の政治議題となることはないだろうし、日本側は「少女像」の前で慰霊の祈りを捧げることに何の抵抗も感じないだろう。しかし、実際はそうではないのだ。
「少女像」もその呼称とは別に日本を告発する鋭い牙を向けながら、建立されているのだ。亡くなった魂を恣意的に目ざめさせ、その恨みつらみを日本に向けて叫ばすために像は建立されている。だから、日本側も「少女像」の前で慰霊の祈りを捧げることに躊躇せざるを得ないわけだ。
慰霊は犠牲者と祈る人の間に共通の痛みがあってこそ成り立つものではないか。「あなたは加害者、私は被害者」といった一方的な枠組みでは慰霊は本来、成り立たない。
息子をパレスチナ人によって殺害されたイスラエルの母親が、同じようにイスラエル兵士によって息子を射殺されたパレスチナ人家庭と一緒に共同慰霊祭に参加した。イスラエルの母親は「私は今日、イスラエル人としてここに参加したのではない。コモン・ペイン(共通の痛み)を有する人間として参加した」と告白したという。韓国社会にはこの“コモン・ペイン”という認識が決定的に欠けているように感じるのだ。自身の痛みだけではなく、他者の痛みに対する理解が求められるのだ。
「少女像」や「労働者像」は悲惨な戦争の犠牲となった魂を慰霊するために建立すべきであり、日本の過去を告発するためであってはならない。なぜならば、日本を告発しても犠牲者の魂を真に癒すことはできないからだ。「少女像」、「労働者像」を国民の反日感情を助長するために利用するとすれば、これこそ犠牲者への最大の侮辱行為と言わざるを得ない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年8月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。