世界的に有名なデザート、イタリアのティラミスは日本でも好きな人が多いだろう。イタリアが誇るチーズケーキの名産品だが、ここにきて元祖争いを展開している。その切っ掛けはローマの農業省が同国の伝統的名産品リストの中にティラミスを加えたまではよかったが、その本場をフリウリ・ヴェネツァ・ジュリア州ウーディネ県にある基礎自治体トルメッツォ(コムーネ)と説明し、「1950年代に生まれた」と紹介したからだ。
「トレヴィ―ゾこそティラミスの本場」と主張してきた同国北東部ヴェネト州のルカ・ザイア知事は、「ティラミスは1960年代に、トレヴィーゾにあるレストラン『Alle Beccherie』において、店の女主人アーダ・カンペオルと、通称ローリという若い料理人ロベルト・リングアノットによって考案された」と主張し、農業省に抗議したのだ。
月刊イル・チェントロによると、アーダとローリは、アーダが長男を妊娠中に、お腹の子に少しでも元気を与えられるように、このお菓子を考え出したという。ティラミスは「私に力をちょうだい」という意味だ。
当方も口の中でとろけるティラミスが好きだ。そのティラミスがいつ、どの町で最初に作られたか関心はあるが、地域の関係者にとっては死活問題だろう。その地域の特産品と指定されれば、地域の名は世界に広がり、ティラミスの売り上げも伸びることは間違いない。
イタリアのティラミスの本場争いを聞くと、音楽の都ウィーンのザッハートルテの知的財産争いを思い出す。洋菓子のメッカ、ウィーンでは過去、ザッハートルテ(伝統的なチェコレートケーキ)の知的所有権争いが、ザッハー側と王宮専属洋菓子店「デメル」との間で長い間続いた(ザッハートルテは同国が誇る世界的なブランドで、日本から洋菓子作りを学びにくる職人がいるほどだ)。
「ザッハー・ホテル」のオーナー、当時のエリザベト・グュルトラー社長によれば、「1832年、料理見習のフランツ・ザッハーが偶然作ったザッハートルテは今日、年間約36万個が製造され、ドイツ、米国、イタリアなどに輸出されている。輸出全体の4%を占めるほどだ、オーストリアにとって、ザッハートルテは文字通り、貴重な輸出品となっている」というわけだ。
デメル側は「ザッハー・ホテル」が製造するトルテはザッハートルテの本来のレシピに従っていない。わが社のトルテはフランツ・ザッハー氏のレシピを忠実に守っている」と主張し、店舗でも「ザッハートルテ」という名前のトルテを売っていた(「175年を迎えたザッハートルテ」2007年4月13日参考)。
参考までに、元祖、老舗争い、本場争いが国境を越えて展開されたことがあった。オーストリア人はソーセージが好きだが、そのソーセージの王様はケーゼ・クライナーだ。そのケーゼ・クライナーは隣国スロベニアから由来していることから、スロベニア政府が突然、「製造発祥地はわが国だ」として、商品名の専売特許を欧州連合(EU)の特許庁に申請したことがあった。それが伝わると、オーストリアのファストフード界やガストロノミーは大ショックを受けた。スロベニアの申請が承諾されれば、ケーゼ・クライナーという呼称を使用できなくなるからだ(「“ソーセージ”戦争の行方」2012年4月15日参考)。
いずれにしても、伝統的名産品ティラミスの本場争いは地域の経済的発展にも影響を与えるだけに、地域の政治家、財界を交えたティラミスの元祖争いはまだまだ紆余曲折が予想される。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年8月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。