週刊文春の東洋経済オンラインへの「誤爆」にみる砲弾の劣化

新田 哲史

週刊文春8月17・24日合併号より

すでに常見さんも書いているが、私からはもう少し踏み込んだ補足を少々。週刊文春による東洋経済オンラインへの「砲撃」は、メディア業界の新旧勢力のぶつかり合いの様相も重なって、微妙な波紋を呼んでいる。気前がいいことに文春は、文春オンラインで全文公開しているので、一応リンクは貼っておこう。

「東洋経済オンライン」衝撃の内部告発(文春オンライン)

それなりに社内の「不満分子」をネタ元にしていて「2億PVの実態は下ネタ中心で社内の士気は低下」というストーリーを前面にしようとしているが、山田編集長が淡々と、そしてオンラインメディアらしくスピーディーに発売当日朝にデータとファクトを示して反論している。

「週刊文春」8月9日発売号掲載記事について(東洋経済オンライン)

それだけ、あっさりと取材相手にリターンを打ち返される程度のストーリーでしかない。たとえば、これがステルスマーケティングが発覚するといった違法性の伴うような話であればまだしも、今回の文春砲は説得力を欠いた「空砲」だ。

というのも、文春の記事を一読した限りでは、東洋経済社内の守旧派が、オンラインへの嫉妬からdisるのに文春が乗っかっただけようにしか見えないからだ。

もちろん、東洋経済オンラインもリフレ派論客のアレな経済記事を載せることについて、池田信夫からしばしば辛辣な批判をさせてもらってはいるが、ダイヤモンドや日経ビジネスの後塵を長く拝してきた東洋経済のブランドがこの2010年代に不死鳥のように復活したのは、まさに、佐々木紀彦前編集長によるリニューアルから始まり、山田現編集長が大きく育てたオンラインのプレゼンスがあってのことだ。おそらくスマホでニュースを読む世代にとっては、ダイヤや日経ビジネスよりも東洋経済オンラインの認知度、親近感は高いはずだ。そうしたことはメディア・広告業界で確立したレピューテーションだろう。

それにだ。「そもそも論」のところで文春の記事は説得力を欠く。津田大介氏や服部孝章氏らメディア論の論客のコメントを並べ、さもそれっぽくストーリーを昇華させようとしているが、朝日新聞や読売新聞あたりの「高尚なメディア」が問題提起しているのならともかく、ゲス不倫などの下世話な話題でPVならぬ部数を稼いでいるのは、まさに週刊文春ではないか。まさに政界の蓮舫氏のブーメラン芸を彷彿とさせる。少なくともその論点で批判をするなら、同じ会社の本流である『文藝春秋』でやるほうがまだマシだった。

そして、その蓮舫氏の二重国籍問題については、週刊文春はほとんどスルーしてきた。関係者に以前聞いたところでは「出自のことはどうでもよい」と言われ、そのときは、まったく政治的、社会的意義というか政治家と国籍の問題に対する認識がずいぶん異なるものだと思ったものだが(念のため一般人の話とは別)、ここ最近の加計学園問題での安倍政権バッシングは、朝日新聞とはまた違った意味で筋がいいように思えない。

私のような一読者ですら、そうなのだから、かつて週刊文春の一時代を築いた花田紀凱元編集長も、産経新聞での週刊誌ウォッチングの連載では文春への苦言が増えている。7月の記事ではとうとう朝日新聞と並び立てるまでに至った。

【花田紀凱の週刊誌ウォッチング〈626〉】どうした週刊文春? これでは朝日新聞と変わらないではないか? – 産経ニュース

かつての週刊文春の感覚からすると、「朝日新聞と変わらないのでは」と言われるのは最大級の「屈辱」ではないか。花田さんの薫陶を受けた勝谷誠彦さんは、文春記者時代、たびたび朝日新聞詣でをして同紙をこきおろしてきたわけだから、花田さんや勝谷さんたちの世代からみれば、いまの編集部に対して思うところはかなりのものがありそうだ。

先日も、自民党などの保守系政治家を支援する有力団体の関係者と懇談した際、最近の週刊文春の報道ぶりについて「文春まで左傾化した」と嘆いていたが、そのことの是非はともかく、ここにきて、週刊新潮にカンニング疑惑を追及されたりしているのをみていると、ワイドショーに持ち上げられ、そのワイドショーに同調した報道をするなど、浮かれているのではないか。

そういう「緩んだ」中で、新興メディアの東洋経済オンラインに対し、これもまた筋の悪いストーリーで砲撃をしたところで、違和感しか残らない。

なお、これは週刊誌全般にいえることだが、長めにコメントを載せた場合でも本人が実際に話した内容に、編集部のストーリーを脚色しているときもあるから油断はできない。私自身もかつて「被害者」になったが、週刊ポストはコメントを捏造することもあった。

週刊誌のコメント編集はどこまで許されるのか? 

「フェイクニュース」という言葉の使い方については、ある種のバズワードになっていて、慎重にしなければならないところだが、いずれにせよ、日本は先進国のなかで、メディアリテラシー教育の取り組みが大きく遅れている中で、読者も一人一人が本質を見極める力を問われる厄介な時代になっていることを再認識した次第だ。なお、8月28日発売の新刊『朝日新聞がなくなる日〜“反権力ごっこ”とフェイクニュース ”』では、朝日新聞憎しのネトウヨ本とは異なり、そのあたりの問題についても宇佐美典也さんとの対談を通じて一定の考え方を示したので、参考にしていただければと思う。

新田 哲史:宇佐美 典也
ワニブックス
2017-08-28