「骨折でも本塁打」報道:朝日への批判は右派からだけでない

新田 哲史

すでに山本一郎氏がヤフー個人で煽り始めたが、夏の甲子園で手首を骨折していながらホームランを放った前橋育英の選手の活躍を美談に仕立て上げた朝日新聞の記事に対する批判的な論調が静かに広がっている。

手首を骨折していても本塁打 前橋育英、信頼応えた4番:朝日新聞デジタル 

“ノンポリ”の経済人たちも違和感を表明

朝日新聞への批判というと、政治関係の記事を中心に保守的な人たちからのものが目立ち気味だが、「護憲」と並び朝日の一丁目一番地のコンテンツである「高校野球」を巡る記事への批判に関しては、必ずしも右派的な人たちばかりではないことに注目したい。

たとえば、ここ最近テレビ露出もあって注目度が高まっている人気投資家で「ふっしー」の愛称で知られる藤野英人氏は昨日(13日)のFacebookで次のように疑問を呈している。

これって「良い話」なのかなあ。
気合いや根性が大切なのは知ってる。
でも、打席に立たせてはダメだろう。そして美談にしては。それも、人権を大切にしてる朝日新聞でしょ。
彼は頑張ったよ。うんうん。彼は非難しない。すごいと思う。「いるだけでいい」なら、控えでいいと思う。

実は私も別の人が問題の記事をシェアした際にふっしー氏と同様のコメントをしたところだった。特に、日頃の紙面で人権尊重を主張しているリベラルの朝日新聞だからこそ、酷暑での連投といった大会の運営問題を劇的に改善できないでいることについて、まさに人権報道における「ダブルスタンダード」だと指摘した。

すると、数々の著名企業の経営再建でおなじみの有名コンサルタント氏をはじめ、何人かから「いいね!」を頂戴したのだが、藤野氏も、そのコンサルタント氏の方々も含め、この問題に関心を寄せているビジネス系の人たち(経済人とでも呼びましょうか)は経済政策以外での政治的発言はあまりしないし、ましてやネトウヨ的な強烈な右派的言動をしているところは見たことがない。

おそらく、彼ら「経済人」は、政治家に対しては経済景気政策をしっかりやってくれという原則があって、割とノンポリ、もしくは穏健な保守・リベラル志向な人たちではと察する。なによりもビジネスの一線で成果を出しているだけにリアリストであり、与党が自民党であろうと、民主党であろうと、現実的に結果を厳しく求めるタイプだろう。

今回の朝日新聞の高校野球報道のあり方、ひいては大会の旧態依然とした運営スタイルについては、政治的な立場を問わず、厳しい目を向けられていることを顕在化したのではないだろうか。

朝日新聞を批判すると「ネトウヨ」扱いというステレオタイプ思考

そうした「ノンポリ」「中道」から朝日新聞への批判が増えることは、私は朝日新聞にとっても実はピンチからのチャンスだと思う。朝日新聞は、自社への批判をする人たちに対し、産経新聞や右派の論客たちといった自分たちから見た対極の「敵対勢力」とみなし、過剰に身構えて受け止めている節がある。だから、なぜ、そしてどこに自分たちの問題があるのか生まれ変わるためのヒントになり得るのに、みすみす機を逸している。

また、朝日新聞に親和的なリベラル界隈の人たちもそういうステレオタイプの思考で反応するところがあって、たとえば私が、新刊『朝日新聞がなくなる日〜“反権力ごっこ”とフェイクニュース ”』を出すと発表した際も、読売時代の同期でリベラルに転向した作家の「アルルの男・ヒロシ」こと、中田安彦氏は、下記のように反応してきた。

ちなみにアゴラは、主宰の池田信夫の立ち位置を含め、産経新聞より右側にいる人たちたちからは「あれは保守ではない」と言われていて、最近もそうした人たちとの懇談の席で面と向かって言われたのだが(苦笑)、そもそも、人々の価値観が複雑多岐になった2010年代において「保守VSリベラル」という昭和期、冷戦時代のフレームワークで言論の世界を単純に色分けできなくなっているのではないか。「保守VSリベラル」という構図はもう古く、先日、門田隆将さんがブログで指摘していた「DR戦争」のほうがしっくりくる。

私は、現在を「左」と「右」との戦いではなく、「ドリーマー(夢見る人)」と「リアリスト(現実主義者)」の戦い(つまり「DR戦争」)だと分析している。安全保障分野で言うなら、「空想的平和主義者」vs「現実的平和主義者」の戦いである。(出典:門田隆将氏ブログ「新たなステージに進んだ「永田町」の暑い夏」

朝日新聞に対して、従来型の保守の人たち以外からも厳しい視線が注がれているのは、その言説や言動(たとえば高校野球の報道スタイル)に関して、時代遅れで現実離れしたキレイごと、空想論を押し付けているからではないだろうか。原理主義的ともいえるアマチュアリズムの徹底により、究極なまでの理想の青春ストーリーを見せることで、国民的人気を得てきた「甲子園」だが、酷暑の炎天下での大会運営といった戦前型のスポ根主義をいつまでも放置していることに、先述した経済人の方々を含めたリアリストの国民は、冷めた目で朝日新聞をみているのではないか。

問題の記事を書いた記者は朝日運動部きっての名文家

なお、読売時代に春夏4度の甲子園取材をした元野球記者の身から言えば、問題の記事を書いた山口史朗記者は、朝日新聞運動部の中堅で、指折りの名文家の一人だ。かつて一緒に取材していたプロ野球のクライマックスリーズで、活躍した同一選手(ロッテの渡辺俊介投手)を取り上げた際、彼のコラムが、拙稿よりあまりに出来がよくて愕然としたことがあったのを強烈に憶えている。

そんな優秀な記者であるから、骨折した選手が本塁打を打つことを美談に仕立てることに、全くの違和感を持っていないはずはない。実際、この大会前には投手のひじを守る対策を取り上げた連載の執筆陣の一人でもある(高校野球への批判をかわすための世論対策の企画ではあろうが)。

(未来へつなげ高校野球)第3部肩・ひじを守る:下 「もし、あのとき」防ぐため:朝日新聞デジタル

それでも、そういう原稿を書いてしまう、いや、記者たちに書かせてしまうのは、自社主催の国民的イベントであることもさることながら、やはり旧来型の甲子園報道のフレームワークに陥っているからだと思う。

昭和型システムの悪弊の象徴例

甲子園報道は旧態依然とした昭和型システムの悪弊を断ち切れないことの象徴的な事例の一つにすぎない。そして、この21世紀の社会とのギャップに喘いでいる問題は、朝日以外の新聞社も大なり小なり同様にある。

なお、新刊『朝日新聞がなくなる日〜“反権力ごっこ”とフェイクニュース ”』では、第5章を「昭和の体質を抜け出せない新聞業界」と題し、そのあたりの問題も論じている。元読売記者の私の単著であれば、もしかしたら不本意にも「ネトウヨ本」扱いされたかもしれないが、宇佐美典也さんが80年代生まれの官僚OBとして、フラットな立ち位置から、時代遅れになっている朝日新聞の思考パターンについて秀逸な分析をしてくれているので、ぜひお読みいただきたい。

おかげさまで本書の予約は好調なのだが、購買データから百田さんの本を買っている層の人たちに偏っているのがやや残念なところで(苦笑)、中道、ノンポリ、穏健なリベラルを自認する方々、朝日新聞の現役の30代以下の記者にもぜひお読みいただきたいと思う。前述の「ドリーマーVSリアリスト」の軸でみれば、そうした方々にもご理解いただけるのではないかと思います。