石川健治東大教授は「憲法の漫才師」

8月15日に、このツイートがちょっと話題になった。ネット上では「なぜ左派の人たちは『戦場へ行く』の発想になるのか。なぜ今住んでいる街、今いる場所が戦場になると思わないのか」という批判が出ているが、村本の話は東大法学部の憲法学講座を担当する石川健治教授と同じである。彼はこういう。

戦後日本の軍事力統制は、70年を超える、見事な成功の歴史でした。成功したからには、それを成り立たせる有効なメカニズムがあったに違いありません。[…]表層部分には「法的な権限があるか」という議論がありますが、その表層を一皮めくると、「その権限を行使する正統性がそこにあるか」という2層目に突き当たり、そしてその下にはさらに、「権限を裏付ける財政上の統制はあるか」という3層目にたどり着く。権力は、実際に、これら3層構造によって統制されているのです。

戦後の日本が72年間にわたって平和を維持してきたことは事実だが、石川氏はその原因を立憲主義による国内の軍事力統制だけだと考える。この長大なインタビューを最後まで読んでも、日米同盟も核の傘も出てこない。

ここには吉本の芸人にも東大教授にも共通の錯覚がある:日本人は戦争の加害者になっても被害者にはならないという思い込みだ。これは日本国憲法を制定したころのGHQや日本政府の発想としては当然だろう。日本軍は中国大陸や東南アジアで多大な犠牲をもたらした加害者だったからだ。

しかしいうまでもなく、戦争には加害者と被害者がいる。いま日本が中国や北朝鮮を先制攻撃するとは、石川氏も思っていないだろう。北朝鮮が「日本の島根、広島、高知各県の上空を飛び、グアムから30~40キロ離れた海面に着弾する」ミサイルを配備したと宣言した今、目前に迫っているのは、日本人が被害者になるリスクである。それはいくら憲法で自衛隊を統制してもなくすことはできない。

ところがガラパゴス憲法学者は、日本が攻撃された場合のことを語らない。「戦争が起こらないように仲よくしよう」というのは、戦争が起こった場合の対策にはならない。そして彼らは戦後の平和を維持した最大の要因が日米同盟だったことも語らない。端的にいって、1950年に在日米軍基地がなかったら、北朝鮮軍が日本に上陸することは十分ありえたのだ。

もちろん石川教授は法学のプロだから漫才師とは違うが、彼は国際政治についてはアマチュアである。彼の語れるのは国内法のみであり、日本国憲法で統制できない北朝鮮の行動については、漫才師以上の見識はもっていない。それはこのインタビューを読めば明らかだ。

これは意外に深刻な問題である。丸山眞男からガラパゴス憲法学者に至るまで、日本が戦争の加害者にしかならないという加害妄想が根強く受け継がれてきた。したがって自衛隊は「専守防衛」でなければならず、集団的自衛権の行使は米軍の「後方支援」に限定する。自衛隊は敵基地に反撃する能力さえ、もつことができない。

法学の「通説」とは東大法学部教授の説だから、事実によって「反証」されない。東京に北朝鮮のミサイルが落ちても、「法律家共同体」の中で確立した石川氏の解釈はゆるがないのだ。彼を「憲法の漫才師」と呼ぶのは、漫才師に失礼かもしれない。漫才師はネタを本気で信じていないが、石川氏は自分が戦争の被害者にはならないと信じているからだ。