元報道記者が語る!テレビは観るよりも出たほうがいい

尾藤 克之

写真右は長島忠美衆議院議員、左は筆者

皆さまは、テレビに出演した経験はあるだろうか。「いつか取材に来てくれたら」と指をくわえていてもテレビに出ることはできない。視聴率低下の影響で、テレビ業界が厳しいと言われているが、テレビに出たいというニーズは相変わらず高い。

テレビではやはり特ダネが優先される

今回は、テレビ業界に精通する、大内優(以下、大内氏)の近著『「テレビ活用」7つの成功ルール』を紹介したい。大内氏は大学卒業後、福島テレビに就職し報道記者として活動をしていた。報道記者から見たテレビ局の裏側は興味深い。

「当時のエピソードも交えながらお話しましょう。ウーウーとけたたましく鳴るサイレン。近くで火事があったのでしょうか。どんなに深い眠りでも、サイレンの音を聞くと一気に目が覚めます。報道記者時代の習性です。身体が覚えているのです。フジテレビ系列の地方局に勤めていた私は、毎日が緊張の連続でした。」(大内氏)

「特ダネを取らなければいけない、他局や新聞に負けてはいけない、現場にいち早く駆けつけなければならない。そんな気持ちで1日がはじまり終わっていきます。すぐに動けるように、入社してから半年間、スーツを着て寝ていました。」(同)

ヘマをすれば鬼のような上司に怒られたそうだ。新入社員だろうが容赦はなかった。少数精鋭であることから、1人にかかる負荷は相当なものだった。

「当時の私は、本当に平和主義者でした。事件や事故が起きないように、毎日手を合わせていました。事件や事故が起きれば、ライバルとの特ダネ合戦になります。失敗をすれば、また怒られる。何も起きてほしくないと祈る日々が続きました。しかし怖いもので、仕事に慣れてくると感覚は麻痺するのです。」(大内氏)

転機が訪れたある出来事とは

特ダネが取れるようになると、記者としての自信もつき、事件や事故の発生を願うようにさえなっていたと大内氏は語る。これくらいの事件があれば、全国放送に取り上げられる。小倉智昭や、安藤優子と中継で掛け合いができて、全国に自分の存在を知らしめることができる。そんなことを考えているある日、出来事は発生した。

それは、新潟県中越地震だった。同じフジテレビ系列の新潟総合テレビの応援として、当時の山古志村(現在の長岡市)の取材をした。しかし、山古志村はすべてを失っていた。

「助けてくださいとすがる人たちの手を振りほどき、夕方のニュース放送のために取材をする自分が醜い存在に感じました。被災地での取材を続けるうちに、自分のなかの正義が崩れていきました。自分がやるべきことは特ダネ競争に勝つことじゃない、本当に情報を求めている人に、必要な情報を届けることだと気づきました。」(大内氏)

「そして自問自答しながら思ったのです。テレビを活用して多くの人の役に立つ方法はないか。テレビ局の内情を知っている私なら、そのノウハウを効果的に提供できるのではないかと考えたのです。」(同)

このようなエピソードはテレビ局の仕事を知るうえで非常に役立つ。どのように仕事が決定し動いていくのか。どのような基準で番組が構成されるのか。全体の仕事が理解できれば、どのような情報を欲しているのか分かるようになる。

テレビ出演のボーダーが下がってきた

さらに、テレビに出演する効果について、大内氏は次のようにも語っている。

「講演などの場で、私は必ずこう言っています。『テレビは観るものじゃない、出るものだ!』。テレビは観て楽しむものだ、ほとんどの人がそう思っています。しかし、ただテレビを観ているという行為は、あなたから『時間』を奪っているだけです。だったら、出るほうになって影響力を与えたほうがよくありませんか?」(大内氏)

「今でも、どんなに忙しくても、1日6時間はテレビを観ます。ニュースもバラエティもスポーツも音楽番組もドラマも、どんな番組もまんべんなく観ます。しかし、いまテレビ業界は試練を迎えています。テレビ離れと業績不振によるものです。だからこそ、一般の方がテレビに出るチャンスが高まっているともいえます。」(同)

テレビ業界は人手不足という問題が顕在化している。テレビマンは常にインパクトがある旬な情報を求めている。以前なら、ハードルが高かったテレビ出演も一定の基準をクリアすれば難しくなくなった。このニーズに目をつけたPR会社などは、スポットなどの番組を営業している。しかもそれなりに高額だ。

しかし、自分がテレビ局にアプローチをして出演が決まれば一切の費用はかからない。さらに出演料(ギャラ)までもらえる。出演したいと思うなら、まずは業界の「てにをは」を理解してはいかがだろうか。テレビは観るのではなく「出た」ほうがいい。

報道記者時代の大内氏(大内氏提供)

追伸

昨日、長島忠美衆議院議員が逝去されたという報道が流れた。私事で恐縮だが、南魚沼市では障害者支援の活動を11回。最近は5年連続で実施している。長島議員が障害者支援の造詣が深いこともあり、安心して開催することができた。

今回、話を聞いた大内氏は、新潟県中越地震の際に山古志村の取材をしている。しかし、山古志村の痛ましい光景を目にしたことで転機が訪れる。この時、山古志村の最後の村長として復興の陣頭指揮にあたったのが、長島議員だった。

最近は、不倫議員、パワハラ議員など、稚拙な政治家ばかりが話題になる。僭越ながら、長島議員は素晴らしい政治家だった。障害者支援の活動は35周年を迎えた。キリがいいので終了とも考えたが、続けるべきとのメッセージだろうか。謹んで哀悼の意を表したい。

尾藤克之
コラムニスト