「大学無償化」が与野党で盛り上がってきたが、見ていて奇異に感じるのは教育バウチャーという言葉が出てこないことだ。例外は橋下徹氏ぐらいで、彼は5年前に大阪市で塾のバウチャーを導入したが、これは「無償化」とは似て非なるものだ。
政党がバウチャーという言葉を使わないのは、この言葉に対する反発が強いためだろう。私が民主党政権の勉強会で提案したときも、幹部が「バウチャーという言葉が出ただけで日教組が絶対に認めない」と否定したが、逆にいうと単なる表現の問題だともいえる。
東京都が年収760万円未満の世帯に私立高校の授業料44万円を給付するのもバウチャーに近いが、都立高校は今でも(年収910万円以下は)全面無償化だ。その目的は消費者の選択の自由を増やすことなので、都立も私立も同等に(都立高校の授業料と同額を)支給すべきだが、まさにそれがどこの国でも(公立学校の)労働組合がバウチャーに強く反対する理由である。
バウチャー(金券)という言葉も、日本人にはなじみがない。これはフリードマンが『資本主義と自由』で使った言葉だが、彼は大学には「出世払いの教育投資ファンド」を提案した。これは自民党の提案した奨学金と似ているので、出世払いの奨学金といえば抵抗が少ないかもしれない。
どっちにしても大事なのは学校という入れ物ではなく、教育サービスに競争を導入することなので、大学だけでなく塾や専門学校も(一定の基準を満たせば)奨学金の対象にすべきだ。専門的な教育の私的収益率は高いので給付する必要はなく、貸与型が合理的である。