朝日新聞が朝刊でミサイル避難訓練をdisった当日に北が発射

新田 哲史

バカらしくて普段なら論評する気も失せるところだが、きのう(29日)の北朝鮮のミサイル発射を巡る朝日新聞の報道で、メディアリテラシーの教材に相応しいサンプルが見つかった。9月1日に開講を控えたオンラインサロン「ニュース裏読みラボ」で、メディアがどうやって世論を作るのかを講義する準備を兼ねて、Jアラートやミサイル避難訓練を巡る朝日新聞の報道を少々分析してみよう。

「軍事アレルギー」と「外交でなんとかしろ」が朝日流

朝日新聞のこれらの問題に関する論調はどうなのか。朝日新聞デジタルで過去記事をいくつか見たが、よりによって「傑作」だったのが、ミサイルが発射されたきのう当日朝の名古屋版の朝刊社会面だ(アイキャッチ画像はこの写真より引用)。 

朝日新聞名古屋本社発行8月29日付朝刊社会面より

ミサイル避難訓練、実効性は 「しないよりやった方が」「発射させぬ外交努力を」【名古屋】

北朝鮮の弾道ミサイル発射への警戒から、落下に備えた避難訓練が全国各地で実施されている。26日には津市でもあった。政府は可能な限り安全な場所に素早く避難するよう呼びかけるが、専門家の中には訓練の実効性を疑問視する声もある。(下線部・筆者)

リードの文章を読んだだけで、訓練を「疑問視する声もある」と釘をさすあたり、はやくも「軍事アレルギー」の気配を感じる。見出しにもあるように二言目に「外交でなんとかしろ」というのは「朝日新聞」らしい(笑)。そして、この記事を「傑作」たらしめているのが専門家のコメントの使い方だ。

軍事ジャーナリストの前田哲男さん(78)は「実際にミサイルが落下すれば、何の役に立つのか」と指摘し、旧防衛庁防衛研修所の「戦史叢書(そうしょ)」から、あるエピソードを紹介する。

今と同様の呼びかけは、広島、長崎に原爆が投下された後の1945(昭和20)年8月にもあった。同書によると、政府は「(原爆対策で)地面に伏せるか堅牢建築物の陰を利用すること」などといい、「新型爆弾もさほど怖(おそ)れることはない」としていた。

「政府の考えは昔からあまり変わらず、歴史から何も学んでいない」と前田さん。「訓練よりも発射させないための外交努力が必要だ」と指摘する。

お、おう…。すでに六カ国協議、国連での外交努力を散々やってきているのに、北朝鮮は、核とミサイルの開発がエスカレートさせてきた経緯があるのが、ここまでの外交の実情と思うし、日本を含めた各国は引き続き外交努力を重ねているはずなのだが。

さらに驚くのは、先の大戦の終結間際のやっつけの原爆対策の話と強引に結びつけて、政府の施策は「無意味」だとあげつらっていることだ。

もちろん、核ミサイルで攻撃されれば、ひとたまりもないが、通常兵器のミサイルで攻撃された時に「屋外ならできるだけ頑丈な建物や地下へ」「屋外なら物陰に身を伏せるか地面に伏せて頭を守る」「屋内にいるなら窓から離れる」という、政府が国民保護の責務を果たすべく、最低限の3大原則を呼びかけること、そして、できれば一度でも実地訓練しておくことを「無意味」だとして全否定するのだろうか。

前田氏がどう思おうと勝手だが、そのコメントを記事の締めに持ってきている時点で、600万の部数を誇る全国紙2位のクオリティーペーパーたる朝日新聞の「社論」かと思うと唖然とさせられる。

新聞記者の机上の言説よりはるかに重い 3.11を体験した農家の言葉に宿るリアル

しかし、結果的に、その記事を載せた新聞が名古屋一帯の読者に配達される頃、北朝鮮が日本列島の頭越しで実際にミサイルを発射した。新刊『朝日新聞がなくなる日 – “反権力ごっこ”とフェイクニュース』で、朝日新聞の言説が旧来型の「反権力」「護憲・平和」フレームワーク思考に陥り、眼前のリアリティーが乏しいことを指摘させてもらったが、まさにそのことを象徴するような結果だ。

今回の事態に自分だったら、どう向き合うか。きのう旧知の福島県の農家、藤田浩志さんがJアラートについて、こんなツイートをしていたのが私は心に響いた。

彼の言葉には保守とかリベラルとか思想的なものはない。そこに宿るのは、未曾有の震災を経験した人ならではのリアリティーだ。

朝日新聞がどれだけ自分たちの思う方向に声を並べ立て「角度」をつけようとしても、現実を知る一つの言葉の前に机上の思惑は瓦解してしまう。私自身は朝日新聞とは逆のポジションをとることは多いが、この藤田さんの言葉の重みを受け止め、リアルを意識する大切さを忘れないように自戒したい。

なお、朝日の名誉のために付け加えておくと、先述の名古屋版記事にはもう一人、危機管理の専門家である日大の福田充教授も登場し、訓練について「やらないよりはやった方がいい」と冷めた見方であるものの、前田氏よりは前向きなコメントを掲載してはいた。

しかし、先述したように、記事の締めくくりに使った前田氏のコメントこそが記者の「本音」であろう。少なくともこの記事を出した朝日の名古屋社会部に置かれては、訓練にケチをつけた直後に発射があったことを踏まえ、今後の報道のあり方を見つめ直す契機にしていただければと思う。「アンチ愛」からの苦言であり、名古屋社会部の記者たちにも拙著をお読みいただければ幸いだ。

朝日新聞がなくなる日 - “反権力ごっこ"とフェイクニュース -
新田 哲史:宇佐美 典也
ワニブックス
2017-08-28