ローマ・カトリック教会の近代化とその刷新を決定した第2バチカン公会議(1962~65年)を提唱したローマ法王ヨハネ23世(在位1958~63年)は法王教書「地上の平和」の中で、「平和は決して軍事力のバランスでは実現できない。対話を通じて相互信頼を構築していく以外に実現できない」と述べている。一方、物理学者のアイシュタインも、「平和は力では実現できない。理解することによってしか実現できない」と語っている。宗教家も科学者も「平和の実現」というテーマでは同じ見解ということは興味深いことだ。
そこで朝鮮半島の現状を考えてみたい。北朝鮮問題が現在のようにエスカレートする前、トランプ米大統領は就任直後、金正恩氏(朝鮮労働党委員長)との会談に意欲を示し、「ハンバーガーを食べながら話し合おう」とエールを送ったものだ。そして国際社会も「ひょっとしたら、トランプ氏ならば金正恩氏と会うかもしれない」といった淡い期待を抱いた。
しかし、北朝鮮がグアム島まで届く長距離弾道ミサイルを発射した後、トランプ氏は怒りで燃え上がり、明日にも軍事攻撃を始めるのではないかと危惧されるほどになった。幸い、ここにきて再び、「全てのカードはテーブルの上にある」という立場に戻ってきている。
すなわち、米国は軍事的圧力を継続する一方で北との対話を模索し出したといえるだろう。韓国の5000万人以上の人命と在韓米国人の安全などを考えれば、戦争は最悪の結果をもたらす危険性がある、とトランプ氏は理解しているはずだ。
第6代国連事務総長ブトロス・ガリ氏は、「平和を実現する仕事は、楽天主義でなければ務まらない」と語ったことがある。朝鮮半島の平和を実現するためには、悲観主義者では絶対務まらないが、単なる楽天主義でも十分ではないだろう。
朝鮮半島の平和実現を考える前に、死者20万人、難民、避難民、約200万人を出した戦後最大の欧州の悲劇、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992~95年)の終結をもたらしたデートン(米オハイオ空軍基地)和平案の「その後」をちょっと振り返りたい。
デートン和平案は2010年11月21日、紛争勢力間で合意された。同年12月の和平協定後、ボスニアはイスラム系及びクロアチア系住民が中心の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア系住民が中心の「スルプスカ共和国」とに分裂し、各国がそれぞれの独自の大統領、政府を有することになった。
イスラム系、クロアチア系、セルビア系の戦いは終わったが、現状は民族間の和解からは程遠く、「冷たい和平」(元ウォルフガング・ぺトリッチュ元ボスニア和平履行会議上級代表)が浸透してきている(「デートン合意後の『冷たい和平』」2010年11月17日参考)。
朝鮮半島でも南北が戦った。朝鮮半島の平和実現がドイツの東西再統一より難しい理由は南北の兄弟同士が武器をもって戦ったからだ。その意味で、朝鮮半島はボスニアと同じだ。
本題に戻る。米朝は過去、対話をしてきたが、その交渉の勝利者は常に北側だった。“瀬戸際”外交と脅迫で米国を追い込んだ北側は軽水炉建設の約束を得る一方、核開発の中断を言明した。しかし、その後、北朝鮮は5回、核実験を実施している。北側が旨い汁を吸う一方、約束を破り核開発を継続してきたことを物語っているわけだ。トランプ氏が「北は過去、われわれを騙して儲けてきた」という指摘は表現は荒っぽいが正しい。
にもかかわらず、米国は北と対話を始める以外に他の選択肢はないかもしれない。北が核開発を絶対放棄しないことを米国側も理解しているはずだ。北が交渉の場で核開発を断念すると表明しても米国は信じないだろう。米朝間には平和の前提である相互信頼がないからだ。信頼がない平和の口約束は「冷たい和平」ではなく、欺瞞に過ぎない。
「私は最も正しい戦争よりも、最も不正な平和を好む」(別訳「どんなに崇高で意義のある戦争より、道理に外れた平和を私は欲する」)と述べた共和政ローマ末期の政治家、哲学者マルクス・トゥッリウス・キケロ(紀元前106~43年)の言葉を思い出す。
米国は、北の蛮行をストップさせ、朝鮮半島の安全を守るために“正しい”戦争を始めるより、“不正な”平和を実現するために交渉のテーブルに着くべきかもしれない。そうなれば、米国の軍事デモンストレーションは少なくともこの“不正な”平和を実現する呼び水の役割を果たしたことになる。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年9月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。