【映画評】散歩する侵略者

渡 まち子
映画『散歩する侵略者』オリジナル・サウンドトラック

数日間、行方不明になっていた鳴海の夫・真治が、突然帰ってきた。不仲だった真治が別人のように優しくなり、どこか以前と違う様子に、鳴海はとまどいを覚えるが、その後、真治は毎日散歩に出かけ、鳴海にガイドになってくれと、謎の提案をする。一方、町ではある一家の惨殺事件が起こり奇妙な出来事が頻発。事件を取材していたジャーナリストの桜井は、謎の若者に出会い行動を共にするうちに、ある事実に気付く…。

謎の侵略者によって日常が破壊されていく様子を描くSFスリラー「散歩する侵略者」。劇作家・前川知大による劇団イキウメの人気舞台を映画化したもので、国内外で高い評価を得る黒沢清監督の新作だ。侵略型SFには、何度もリメイクされている古典SF「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」(1956)があり、本作はまさに黒沢清版“ボディ・スナッチャー”という趣である。50年代に多く作られた米国映画のSF特有の不穏な空気は、目に見えない何かの気配を常に感じさせ、つかみどころがない黒沢ホラーの恐怖とも共通するものだ。

エイリアンたちは侵略のプロセスとして、身体を乗っ取るだけでなく、家族、仕事、所有などの人間の行動原理のベースとなる“概念”を奪っていく。この設定が新鮮で、興味深い。概念を奪われた人間は、不思議なほど解放され、自由になるというのは、現代社会への痛烈な皮肉に思える。鳴海と真治(の形をしたエイリアン)の夫婦の物語がラブストーリーならば、ジャーナリスト桜井と謎の若者の暴走は、奇妙な友情物語と言えようか。本作はSFという大枠を借りながら、ラブストーリー、ブラック・コメディー、サスペンス、ホラー、アクションと、さまざまなジャンルをクロスオーバーしたジャンルレス映画なのだ。のどかな地方都市を散歩する侵略者は、ゆっくりと、でも確実に世界を崩壊させていく。それでもなお、人間たちは、愛する人と一緒にいたいと願っている。絶望を描くかに見えて、今までにない“前向き”なメッセージを感じさせる内容に、黒沢清監督の新たな挑戦を感じる作品だった。
【75点】
(原題「散歩する侵略者」)
(日本/黒沢清監督/松田龍平、長澤まさみ、長谷川博己、他)
(ジャンルレス度:★★★★★)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2017年9月10日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像は公式Facebookページから)。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。