コンパニオンロボットはそもそもロボットか?

Wired日本語版に「コンパニオンロボットには「人間と絆が深まりすぎる」という問題がある」という記事が掲載された。元になった英語版記事のタイトルは「Companion Robots Are Here. Just Don’t Fall in Love With Them」。英語のほうが「恋に落ちる(Fall in Love)」とより直接的である。記事の内容は、ヒトはロボットに動機や意識があるように思い込みがちなので、そうした心理の悪用を避けるため人間との「絆」を作り過ぎないように工夫するメーカーも登場した、というもの。

ロボット技術の進展は急速である。市場に提供され始めたコンパニオンロボットは家族のアシスタントとして役に立つ。音楽を流したり、動画を撮ったり、高齢者が薬を飲み忘れないよう声がけしたり、障害をもつ人を助けたりする。ヒトがそんなロボットを家族の一員として受け入れるようになると、悪人がコンパニオンロボットを使って高齢者からから金銭をすり取ろうとするかもしれない。子供もそんなロボットを生きたペットのように勘違いするかもしれない。記事は、ヒトとロボットの関係性が深まり過ぎないように工夫するべきと指摘している。

先日も犬型ロボットAIBOの「お葬式」が営まれた。ロボットを受け入れやすい日本人に悪人が働きかけたら、Wiredが危惧するような事態が本当に発生するかもしれない。

しかし、そもそもコンパニオンロボットはロボットなのだろうか。「ロボット」はJIS規格JIS B8445では「2軸以上がプログラム可能で、一定の自立性を持ち、環境内を移動して所期のタスクを実行する作動メカニズム」と定義されている。さらに、「サービスロボット」は「産業オートメーションの用途を除き、人又は機器のために有用なタスクを実行するロボット」が定義である。

コンパニオンロボットはこれらの定義よりもスマートフォンと同様の情報通信機器としての性質が強い。スマートフォンでもアプリ次第で音楽を流し、動画を撮り、高齢者に声がけし、障害者を助けられる。このように見れば、コンパニオンロボットは自動移動するスマートフォンに過ぎないということになる。

人々はスマートフォンに強い愛着を持つだろうか。性能の向上に伴って数年に一度買い替えるのが普通である。

人々がコンパニオンロボットに過剰な愛着を持たないようにする方法は二つある。Wiredが説くようにロボットにそっけない応答をさせるという方法が一つ。第二はアプリの更新や機能追加が頻繁なスマートフォンのように設計し、数年おきの買い替えを当たり前にする方法。後者であれば、悪人による遠隔操作も不正アクセスとしてブロックできる可能性がある。

このようなコンパニオンロボットは高齢者の自立生活支援にも利用できる。昨日の記事で言及した国際標準化会議でもロボットに関する議論が行われる予定である。