来週末に報告会を行うABC商店(仮名)は都内にある小さな金型メーカーである。明治から3代続いた老舗だが、大手メーカーの海外発注の攻勢に押され、業績が下がり気味。抜本的な改革を行ない、将来に向けて躍進していきたいとの依頼であった。
お前のためを思ってやったという錯覚
私は、部下の田代をプロマネにアサインした。経験不足は否めないが何とか進められるだろうと期待をしたのである。しかし田代のレベルは私が期待する水準に達していなかった。そのため工程毎にチェックを厳しくすることにした。
私は彼を罵倒した。作成した資料を赤字だらけにしながら、「数字はしっかり確認しろと言っただろう!」「世の中にない言葉を勝手に作るな!」「コピー&ペーストは禁止だと何度言ったら分かるんだ!」と激を飛ばしていた。
心配した社長が「ちょっとやり過ぎじゃないか?」「大丈夫か?」と口出ししてきたが問答無用。私だってデキル人間にだったら優しく教えたりもする。しかし、根底から入れ替えてやらないと、独り立ちができないだろう。
その日も深夜まで田代の資料をチェックしていた。最近、田代は、私の前に立つだけで足が震えるようになった。ここで同情してはいけない。辛く苦しい日々を乗り越えることで、一流のコンサルタントになれるのである。
今日も、時計の針は深夜1時を回っている。連日の徹夜で疲労困憊だ。私は田代に自費でタクシー代を手渡した。いよいよ今日はクライアントの報告会、報告書を製本し私は帰途に付いた。時計を見るとすでに深夜3時をまわっていた。
その日の報告会に田代は来なかった。帰社すると、田代の母親から電話がかかってきた。母親が「会社に行かなくていいのか?」と尋ねたところ、「プレゼン本番で失敗してしまったらどうしようと思うと身体が震えてしまう」とのことだった。
そして、私に対する不満を吐き出し始めたようだ。「毎日のように自分はダメ人間だと否定されて辛い」と最後には涙をこぼしたようだった。私は「なぜ?」と思わずにはいられなかった。すべては田代のためを思ってやっていたことだ。
敗者を最後まで追い詰めてはいけない
「007ムーンレイカー」には次のようなシーンがある。敵の宇宙基地でドラックスを追い詰めるシーンである。激しい攻防のうえ敵を追い詰めるが、彼を宇宙空間へ放出し逃がしてしまう。映画ではこれで「THE END」になる。
しかし、薄手の宇宙服を着ていたら助かるかも知れないと当時は思ったものだ。また、もう1人の悪役であるジョーズも殺されない。当初は、人間離れした肉体をもつ冷酷な殺人鬼の設定だったが、本作でも殺されることは無かった。
ジョーズは、助けられたことで、ボンドにシンパシーを感じ人間性を取り戻してた。ボンドを逃がした後、宇宙都市内にドリーと2人取り残されたのち揃って生還している。これは、敵でも最後まで追い詰めるべきではないことを示唆している。
仕事は勝者になることもあれば敗者になるときもある。敗者になった人を必要以上に追い詰めると禍根を残す。勝者、敗者が決定した時点で優劣は明らかなわけだから、むしろ労ねぎらう姿勢のほうが大切な場合もある。
人は他人の失敗にはとても敏感である。一方、自分の失敗や過ちは認めたくないと思うものだ。どのように対峙するかで人間としての器が決まる。特に、自信のある分野でミスを起こしたときは、それを認められないから要注意である。
優劣が明確になったら、責任論をかざしても話が建設的になることは少ない。むしろモチベーションが下がり壊滅的なダメージを与えかねない。勝敗が決しているなら、落としどころを見つけるべきだ。それは、人間としての器の問題でもある。
参考書籍
『007(ダブルオーセブン)に学ぶ仕事術』(同友館)
尾藤克之
コラムニスト
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