財政金融政策の「首相一存」を危惧

首相官邸サイトより(編集部)

次々に基本原則を独断で修正

解散が近づき、安倍首相は「全世代型社会保障」だとか、教育無償化、消費税収の使途の見直しだとか、選挙公約としてアドバルーンを上げ始めました。経済財政政策の基本路線を「首相の一存」であっさりひっくり返す。党内に反対意見はあるだろうし、だれが首相にそんな絶大な権限を与えたかも不明のままの独走です。

「借りたら返す」が経済の大原則ですね。安倍首相は12日、日経新聞のインタビューに応じ、「教育無償化の財源は私の責任で確保する。教育国債も排除しない」と述べました。私が絶句したのは「私の責任で確保」のくだりです。消費税収の使途変更、教育国債(本来、そのような国債の分類は存在しない)の発行を首相の一存で決めることを示唆したのでしょう。教育費を充実させるなら、次世代につながる技術開発への集中投資です。

国債を増やして財源に充てたら、当然、「私の責任で返済する」と発言しなければなりません。日銀がほぼゼロ金利の国債をすぐ買ってくれますから、財源の手当ては簡単です。問題は増発した国債の返済にあり、「私が責任を持つ」という必要があります。何も言わないのは、「結果」には、責任を負わないということでしょうか。

社会保障の拡大を招く「全世代型」

日本のように巨額の財政赤字の国は、社会保障費を削減していくのが大原則です。安倍首相はそうは思わないようで、選挙に向けて、官邸筋がにわかにメディアに書かせ始めたのが「全世代型社会保障」です。社会保障費は高齢世代ほど手厚く、若い世代が冷遇されているという不公平が指摘されていますから、今後は「若い世代向け」というなら分かります。

それなのに「全世代型」に踏み込んだら財政はさらに悪化します。高齢者向けを削減して、若い子育て世代などに振り向けるというのなら筋は通ります。年金、医療、介護などの社会保障費は自然増だけで年間6500億円、これを5000億円に圧縮しようと政府は懸命です。その時、高齢者を含む「全世代型」などというのは、場違いというものです。

次々に大原則を放棄する安倍政権です。消費税収は本来の社会保障向けにするのが原則です。それを教育の無償化にも回し、消費税制度の原則を曲げようとしています。「2019年10月に消費税を10%」の約束は守るといいますから、首相はついに腹を決めたのかと思っていました。そうではないのですね。

民主、自公の3党合意(2012年)では、消費税上げ5%(5%から10%へ)のうち、4%分を年金の国庫負担や借金(国債)の充て、1%分を社会保障の充実に回すことを約束しました。首相は政府や党内の意見調整もせずに、それをひっくり返してしまおうというのですから大胆です。

巨額の社会保障費を賄うため、足りない分は国債や国庫負担金でやりくりしてきました。将来、消費税を引き上げることを見越して、ツケで食事をしてきたようなものです。消費税を上げる段階になったのに、ツケの返済に回さないことにしするというのと同じです。

自分の任期しか眼中にない

安倍政権は国と地方の借金(国債など)が1000兆円を超すのに、財政再建目標(2020年度、基礎的財政収支の黒字化)を先送りするつもりです。政治家の経済学というのは、自分の任期中だけしか眼中に入ってこないようです。欧州連合は厳しい財政条項を加盟国に求めているし、米国は政府債務に上限を設け、財政に節度を持たせています。日本の政権は「なんとかなるだろう、もつだろう」という意識なのです。

ついでに申し上げますと、米連邦準備理事会(FRB、中央銀行)は、保有している米国債を10月から段階的に減らし、年内に追加利上げを実施する予定です。欧州中央銀行(ECB)は来年1月から量的金融緩和の縮小に着手します。異次元緩和を今後も続けるのは日本だけです。

財政は大赤字、日銀は巨額の国債を持ち、今後も保有額を増やしていきます。欧米は中央銀行の健全化に努め、次の金融危機に襲われた時の備えをしておこうというのです。危機の大波が次にきたら、財政も金融もぼろぼろの日本は打つ手はありますか。

「なんとかなる、なんとかできる」という理論を掲げる学者、専門家、識者は少なからずおります。私が聞きたいのは、精緻な理論よりも、「日本の金融財政は主要国の中で最悪である。最悪の日本だけがなぜ、無事でいられるか」という説明なのです。「財政健全化より財政出動」だの、「日銀の財務体質の悪化は政府と一体で考えると、何とかなる」だの、危機対策の先送りに専門家は手を貸してはいけません。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2017年9月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。