昨今、憲法7条による衆議院の解散についての議論がなされています。
ちなみに、7条解散を否定する人々も、憲法69条による解散は否定していません。憲法69条は次のように規定されています。
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
ここで注意していただきたいのは、「内閣は…衆議院が解散されない限り」と書かれており、「内閣は…衆議院を解散しない限り」と書かれていない点です。つまり、69条でも、誰が解散権を持っているかは(少なくとも文言上は)不明なのです。
憲法7条は、以下のように規定されています。
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。一、 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。二、 国会を召集すること。 三、衆議院を解散すること。(以下省略)
この条項と69条の文言を併せ斟酌すると、衆議院の解散権は(文言上は)天皇にあると解釈するしかありません。
しかし、天皇は憲法上規定される国事行為のみ行うと規定され(第4条)、各国事行為を実際に天皇が行う際には、内閣の助言と承認が必要です(第3条)。となれば、形式的な解散権は天皇にあるものの、実質的な解散権は内閣にあると考えるべきでしょう。
三権分立の見地からも、内閣による7条解散は是認すべきと考えます。
日本国憲法は議院内閣制を採用し、内閣の存続を国会に委ねました。
内閣総理大臣は国会議員の中から国会の決議で選ばれます。
このように、議院内閣制を採用して国会の内閣に対する優位性を認めているのに、内閣による衆議院の解散権を制限するのはあまりにも不均衡を生ぜしめ、三権分立の理念に著しく反すると考えます。
7条解散は認めるものの、その根拠や理由を明確に説明すべきだという主張もあるようです。
しかし、内閣による衆議院の解散は「高度に政治性を有する統治行為」とするのが最高裁の立場であり、訴訟で解散の是非を争うことはできません。説明責任というものもあるかもしれませんが、それはあくまで政治的な次元の問題であって法的な問題ではありません。
なにより、日本という国の主権者は国民であり、解散総選挙は国民による主権の行使として重用な機会です。
解散の動機や目的はどうあれ、主権者である国民が権利行使する機会を制限する憲法解釈は、到底是認できません。
以上、形式論と実質論から7条解散の妥当性を論じてきました。ご参考になれば幸いです。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年9月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。