まあ、間違ってはいない。政治においても、経営においても「何をやるか」ではなく「誰がやるか」は大事ではある。
もっとも、ここ数日で政治的理念、スタンス。右や左なるものはすべて華麗にスルーされてしまった。「国難突破解散」とされたが、これこそが国難ではないか。国難やリセットという言葉が連呼されること自体、ポエム化政治ここに極まれりだ。
私は見ての通りの左派で、反安倍で、反自民だ。親子三代にわたって自民党に入れたことがない。だが、安易なポピュリスト、ポピュリズム政党を許してはいけない。大義なき解散だが、理念なき野合だ。
家入一真や、三宅洋平や、上杉隆の気持ちすら、少しだけわかった。「もう、いい、俺、やる」的な。いや、やらない。一市民として政治家にエールと石を投げる立場で居続けるのだけど。
<衆院選>自民VS希望 激しい舌戦スタート(毎日新聞) – Yahoo!ニュース
激しい舌戦などと報じられているが、レベルが低い。どうでもいい。政権交代可能な二大政党の時代が常に叫ばれてきたが、そこに庶民への視点があるのか。その選択肢は適切か。
というわけで、一市民として違和感を記すことにする。
ところで、働き方改革はどこへ・・・。メディアの要約が、長時間労働規制と高プロは来期通常国会へ?になっていて、要するに高プロやりたかったのねと思ったり。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年9月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。