サウジアラビアとイランの明暗は次第に明らかにされる

白石 和幸

サウジがロシアに接近してまでイランとの関係修復を目指す裏は?(15年6月のサウジ・サルマン皇太子とプーチン氏との会談。Wikipedia:編集部)

サウジアラビアがイランとの関係修復の必要に迫られているという。その仲介役にイラクの内務相カシム・アル・アラジが買って出た。彼はイラン政府の庇護下にあるイラクの組織Badrのメンバーで、イランの革命防衛隊の最高指揮官カシム・ソレイマニ将軍と近い関係にある人物だとされている。

イエメン紛争がベトナム化している。サルマン皇太子が米国の二人の元高官に「イエメン紛争を終わらせたい」と告白したメールを電子紙『Middle East Eye』がリークして報じたことからも窺われるように、サウジにとってイエメン紛争は重荷になっている。そのイエメンでサウジ軍と傭兵軍と戦っている過激派組織フーシを支援しているのがイランである。

また、サウジはトランプ大統領に嗾けられて中東の反逆児カタールを支配しようとして、逆にカタールとイランの関係を強化させることを導てしまった。更に、それが縁でカタールと軍事同盟を結んでいるトルコもイランと絆をより強くするようになった。

もともとカタールはイランと海底ガス田を共有しているということから、この開発で両国は協力関係にあった。

大統領に就任したトランプはオバマ前大統領と異なり、中東における外交をサウジを主軸にしてイランの勢力拡大を阻止しよとしていた。その具体例がサウジをリーダーする「イスラムNATO」の創設であった。しかし、「イスラムNATO」を創設するにあたって、イランと関係の深いカタールをこの軍事同盟に加えることは出来ないと判断してサウジはカタールの政権の転覆を計った。それが先ずカタールとの断交であった。

しかし、それはカタールがイランと関係をより強化することになってしまった。それを見た米国はサウジに対してカタールと早急に解決の道を模索するように要求するのであった。

そこで、クウェートの仲介もあって9月8日にカタールのタミーム首長がサウジのサルマン皇太子と電話会談をしてサウジ以下4カ国と歩み寄りの交渉をしたいと持ち掛けた。ところが、翌日9日にサウジは交渉に応じる構えはないと突っぱねた。理由はカタールが交渉に応じるにはサウジ側がこれまで要求しているすべての条項をまず取り消しすことを条件にしたからだという。

サウジはその間も、カタールのタミーム政権の転覆を計って同じサーニー家のアブドゥラ・ビン・アリ・アル・サーニを米国に訪問させて彼を首長として受け入れるようトランプ政権を説得しようと努めたが実現しなかった。

また、サウジはカタールと断交を決めてから同国の国境近くに戦車などを待機させて、いつでも侵入する体制にあったが、イランの存在がそれを思いとどまらせたという。サウジはイランとの直接対決は避けたいとしたようである。

米国の姿勢に期待外れの感を受けたサウジはこの問題の背後にいるイランを意識してロシアに接近することを決めたという。アラブ首長国連邦の外交顧問のムスタファ・アラニはそのサウジの動機をシリア紛争を唯一解決できるのはロシアだとサウジは考えるようになったと指摘し、そしてもう一つの動機は「シリアの同盟国イランと取り組む為にはロシアに接近することだ」という結論に至ったと同氏は述べた。

サウジはロシアを介してイランが背後にいるイエメンとカタールの問題の緩和化を図ろうしてしているようである。

しかし、プーチン大統領はネタニャフ首相がロシアを訪問した時に明白にしたようにイランはロシアの戦略上の同盟国だということが明らかにされている。それを承知でイランの敵であるサウジがどこまでロシアから協力を得ることが出来るのか不明である。

イランはサダム・フセインと8年間の戦争を経験している。そして米国のブッシュJR.大統領の時からほぼ20年間の制裁を受けて来た。その厳しい状況下にあって、軍事産業を発展させ、制限された原油の輸出で経済を支えて来た。

イランはアラブ諸国でイランを保護国として受け入れてくれる国を支援し、サダン・フセインのいなくなったイラクでも米国と英国が撤退したあと影響力を強めた。レバノンのヒズボラを武装分子として育て、ヒズボラの戦闘員の多くを犠牲にしてシリアのアサド大統領を味方につけた。イエメンのフーシ過激派にも支援をしている。そして、カタールが断交された時も直ぐに救援物資を送って支援した。

このようにイランはシーア派とスンニ派の差別なく実利主義の外交を一貫としている。

一方のサウジは「ビジョン2030」を発表して原油の輸出に依存しない国家経済を構築しようとしているが、1938年の建国以来、今回のプランを含め10回発展プランを計画して来たという。しかし、どれも目的を果たしていない。旧態依然の原油に依存した経済が続いている。

しかも、原油価格が嘗ての半値にまで下がっていることから厳しい財政事情を余儀なくさせられている。その上、イエメン紛争は長期化して出費は重なるばかりである。2030年まであと13年しかない。企業組織も大半が政府に依存した公共事業が主体で、本来の民間企業体制は発展していない。そのような環境で2030年までに原油と工業産品と半々の輸出体制にするとしているが、結論から先に言えばこれは空論でしかないということである。

今後のサウジは経済的にも後退を余儀なくさせられる運命にある。外貨準備高も年々減少している。更に、サウジ家の内部でもサルマン皇太子の王位継承に反対している者が多数いるという。中東経済専門家サイード・ガフロフは「現状のサウジではあと2-3年しかもたない」と指摘している。

現在の中東の両雄であるサウジとイランはこれからサウジが後退して行くにつれて、イランが次第に台頭して勢力を拡大して行くであろう。そして、嘗てのペルシャ帝国の再来に繋がるように思える。