二度と得られないものを失う痛みを上手に受け入れる方法

こんにちは!肥後庵の黒坂です。

人は不足や痛みには耐えるようになっています。例えば栄養が不足すると食事の吸収率を高めることで飢餓に耐えるようになっていますし、胸を痛める出来事があっても上手に心の中で処理ができるようになります。

しかし、何度経験しても耐えがたい痛みが存在することをあなたはご存知でしょうか?それは「二度と得られないものを失う痛み」です。

人間は本質的に痛みに強く反応する

人間は本質的に得ることより、失うことに大きな反応をする特性を持っています。あなたが投資をしているなら株価チャートを見てみて下さい。景気が良くても株価の伸びは比較的緩やかじゃないですか?それなのに不景気になるとどうでしょうか?緩やかに下降を続けることはありません。落ちる時はドスン!と重い音が聞こえてくるような落ち方をしますよね?これは人が損失に大きな反応をしている何よりの証拠です。

若い時は比較的お金をどんどん使えるのは、「将来また稼げる」とお金を使うことの痛みから回復する術を持っているからです。でも、結婚し、子供ができると途端に財布の紐が堅くなるじゃないですか?これはライフステージが変わったことで、将来見込まされる自宅や車の購入、子供の養育費など見込まれる出費が明確になることで失うことへの備えによる心理です。

人は本質的に痛みにはとても強く反応します。

二度と得られないものを失う痛みはとても大きい

お金は使えばまた稼げますが、定年退職などで使ったお金が入ってこなくなるようになると消費する一方になります。そうなると心の中は将来への不安で満たされます。ちょっと想像してみてください。食事をしても、買い物をしても、孫や子供にお金をあげても出ていく一方で決して入ってこないという状況を。たくさんあった銀行口座のお金がどんどん減っていく。これは命を数値化してそれが減り続けているようなものですから、恐怖を感じないわけがないわけです。

お金だけではありません。例えば「時間」。時間というのは紛れもなく人生という命の断片であり、時間が残り少なくなっていく老化を実感する時はいつも強烈な痛みを伴います。私も昔はちょっと思い出せないことがあったり、小走りをして息が切れると「もしかして脳が衰えているのか?」「体が老化して体力がなくなったのか?」とものすごく不安になったものです。この痛みは老化が不可逆的なもので、二度と若返ることによるものです。

二度と得られないものを失う痛みを治療する方法は多くありません。「ひたすら失う一方」この絶対的、毅然に突きつけられる残酷な現実を目の当たりにした時、ほとんどの人が取る行動は決まっています。それは「目を背ける」という現実逃避です。年齢不相応な若作りなどはその心理の現れです。それだけもう得ることのないものを失う苦痛は辛く、乗り越えがたいものといえるわけです。

失う痛みは「常に楽しむ」という達観で乗り越える

それでは失い続けることの苦痛をどう和らげればいいのでしょうか?お金はその問題を解決できる手段のひとつかもしれません。アンチエイジング効果のあるエステや品質の良い化粧品、投資をしてキャッシュフローを作ることで経済的不安を解消するというものです。でも私は「それは絶対的なものではない」と思っています。例えばお金持ちは築き上げた資産を失う恐怖があるといいます。こちらの記事でも紹介している通り、お金を沢山持っているのに使うことが恐怖で1億円以上を抱えたまま亡くなる人もいるくらいです。投資をしてキャッシュフローを得る、といっても投資ですから100%絶対なものでもありません。

私が考える絶対確実な失う痛みから解放される方法、それは「痛みそのものを楽しむ」です。「おいおい、お前は何を言っているんだ!?」と言われてしまいそうですが、私は大真面目にいっています。私は中学1年で勉強につまずきました。高校は名前を書けば全員入れる工業高校卒で、5年もフリーター・ニートをやって外国語大学の短大に入学するというダメダメ落第生でした。

途中、自分の中で覚醒するスイッチが押されたことで、猛勉強をしてアメリカの大学へ留学して会計学を学び、帰国して大学院のMBAの門戸を叩きました(結局大学院には入学はしませんでしたが 笑)。外資系勤務を幾つか経て起業、今は経済的な不安のない、自由な時間がたっぷりあるとても恵まれた生活を送っています。しかしこの生活は永遠に保証されたものではありません。日本の人口減少は今後もどんどん続いていくので、事業のパイは縮小するでしょうしライバルも出てくるでしょう。

でも私にはまったく不安がありません。今の恵まれた環境が永遠に保証されたものではなく、たとえ転落する可能性があるとしてもです。なぜなら「失ったら失ったでその環境を楽しんじゃおう」と痛みを楽しむ回路を脳内に獲得しているからです。もちろんそうならないために最大限の努力をすることは言うまでもありません。しかし本当にどうしようもなく、お金を失うことになる可能性はあるわけです。

でももしもそうなったら貧乏学生だった頃のように図書館にこもって好きなだけ本を読んだり、好きなことを書いたりしようと思っています。図書館はお金を払わなくても誰でも使えてしっかりと空調が効いており快適です。私が東京にいた頃に使っていた近所の大学図書館は22時まで空いていました。1冊数千円する専門書も無料で借りることができますし、インターネットも使えます。土日に行けば学生はほとんどおらず、しん…と静まり返った空間にいるのは自分一人。朝の穏やかな陽光の中、好きだなけ本を読んで書き物をする。私にとってはこれほどの極上幸せタイムはありません。万が一、将来的にお金がなくなってすべてを失うことになってしまったら、私はずっと図書館にこもろうと思っています。食事も玄米と大豆を炊いて、季節の果物を頂く、これで十分です。

老化も人によっては耐え難い苦痛ですが、それも構わないと思うようになりました。私は過去に老化恐怖症(詳しくはこちらの記事)で苦しんだ時期がありました。でも今はかわいいオジサンになる準備をしています。「かわいい」というのは見た目のことではなく「心がかわいい」ということです。まるで子供のように楽しいこと、美しいことが大好きで、ワクワクどきどきする毎日を送ることができれば、それはとても魅力的で素晴らしいことだと思うのです。

周囲は老化する恐怖や諦めから枯れていく人が増えていくでしょうが、その反対にどんどん心がかわいい人になって人生を謳歌しているならそんな人生はもう完全に勝ち組だと思うんですよね!「失ったら失ったでその環境を最高に楽しんでやろう!」そんないい意味での達観というか、痛みそのものを楽しんでやろうと思っています。

ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。