夢見る野党じゃいられない 2017

宇佐美 典也

ども宇佐美です。
やっぱり相川七瀬といったらリフで勝負ですよね。「恋心」とか「Nostalgia」とかメロディアスな曲調もいいんでんですけど、日本人的な縦ノリにあったリフを繰り返す「夢見る少女じゃいられない」「Like a hard rain」「Break Out!」あたりがあるからこそ、今でも彼女のライブって客が入って盛り上がるんじゃないかと思うんですよ。なんだかんだロックはライブですよね。

相川七瀬
カッティング・エッジ
1999-05-19

 

さて本日(10/10)衆議院議員選挙が公示されたわけですが、散々野党再編で盛り上がったわりに「大山鳴動してネズミ一匹」というやつで、順調に希望の党が支持を落としており、どうやら解散前と比べて自公政権がそれほど議席を落とすことはなさそうな目算が立っているようです。

ただだからと言って「前原さんや小池さんの動きは無駄だったのか」というと、そういうわけでもなく民進党が左右に分かれたことで、いわゆる「護憲勢力」というものが1/3近くの議席を獲得することは困難な状況を作り上げたことはそれなりに歴史的価値があるように思えます。衆議院の議席数は465になりますから、改憲を確実に阻止するには護憲勢力で156議席必要なわけですが、立憲民主―共産―社民―その他で156議席というのはとても無理な水準でしょう。

そういう意味では選挙結果がどうなろうとも改憲の議論が進むことが見込まれるわけで、野党はこれまでのように「憲法改正反対!日本に軍隊は不要、外国問題は話し合いで解決!」と夢見がちなことを言って入れば済む時代は終わりを告げることになりそうです。そんなわけで野党は野党で憲法改正のあり方を考えなければいけない時代がくるわけですが、それでは民進党なり立憲民主党なりのみなさんが言っている「憲法を軽視する安倍首相の下では改憲に協力できない」という主張も全く理屈がないわけではありません。

日本は違憲立法審査に当たって、裁判所が通常の争訟に対して判決を下す際に付随して判断を下す「付随的違憲審査制」を取っており、なおかつ最高裁判所はいわゆる統治行為論で違憲判断を避けがちですから、司法による直接的な行政のガバナンスは弱くなりがちです。というかとても弱いです。こうした「弱い司法」をカバーしてきたのが政府内の「擬似憲法の番人」である内閣法制局であったわけでして、最高裁の判例抜きに内閣法制局の解釈を人事を通じて強引に変える安倍首相の手法はある種の「戦後の違憲立法審査体制の破壊」といってもいいんでしょう。

ただまぁそれとてまさに憲法上認められた首相の人事権であって、「学説とことなるから」とか「内閣法制局の過去の解釈と異なるから」とか言った理由で「集団的自衛権を認める新安保法制をただちに違憲である」と断じる姿勢もまた私からみると憲法を軽視しているように見えます。最高裁判所はまだ安保法制に対してなんの姿勢も示していないんですから。

この「弱い司法の違憲立法審査体制」というのは現行憲法の一つの欠陥でありるように思えますから、私としてはこの際野党、特に立憲民主党、から憲法裁判所の設立なり抽象的違憲審査制の導入なりを目指した憲法改正案を提案するような流れになって欲しいと思っています。実際日本での国会審議が低調なのは「官僚が書いて内閣法制局がチェックした法案の条文は一言一句を変えていけない」という与党、官僚の姿勢に原因があると思っていまして、より充実した国会審議のためには、ある種「法案条文のいいかげんさ」を許容して裁判所による事後審査の余地をある程度残す必要があると思うんですよ。

そんなわけで今回の選挙を通じて、また選挙後の国会審議を通じて改憲に関する議論が活発化することを願っています。

なお私は相川七瀬のライブに行ったことはありません。

ではでは今回はこの辺で。

新田 哲史:宇佐美 典也
ワニブックス
2017-08-28

編集部より:このブログは「宇佐美典也のblog」2017年10月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のblogをご覧ください。