突然の解散、そして、希望への民進合流発表から立憲民主党の創立という嵐のような激変があったが、この一連の流れを投票日を前に総括したい。というのは、あまりにも、誤った理解をしている人が多いからだ。
戦後の憲政の常識では、衆議院の任期半ばを過ぎれば、ほどほどのところで解散するのが常識となってきた。むしろ野党が解散を要求し、政府はできるだけそれを引き延ばしつつ、相対的に有利なタイミングで解散してきたのである。
大義のない解散はいけないとか、解散権は制限されるべきとかいう議論は、学者の間はともかく、政界の常識としてはないに等しかったから、そういう言い方はルールの勝手な変更だ。
それでは、なぜ、今年の解散はないといわれていたといえば、森友・加計事件の不手際で内閣支持率が落ち、回復を待ちたかったからだ。一方、小池新党の創立が予想される中で、早くしたいという気分もあった。
そこへ、ようやく内閣支持率が回復し、朝鮮半島情勢は、トランプ来日まで大きく動かないがそれ以降はどうなっているか分からない、小池新党は準備できてないが加速しつつあるので、公明党に打診したら反対もなかったという絶好のタイミングが訪れたので、解散したというだけのことだ。憲政史のなかで何も非常識な事はないし、森友・加計隠しでもない。
目標については、前2回の総選挙は、与党にとって出来すぎであり、定数減などを考えれば、民進党が30くらい増加し、自民党が40くらい減らすくらいなら、自民党にとって不都合な結果ではなかった。
だから、安倍首相は勝敗の分かれ目は、自公で233、つまり、自民党が85減くらいを目標といったし、本音で言えば、自民党で過半数、つまり、50減なら万々歳だった。さらに、比較第一党なら、敗北とまで冷えない。ところが、マスコミがそれでも議席数が減少したら退陣すべしとかいったのだが、これは、論理性に欠けた、ためにする議論だった。
小池氏が知事になった段階で、自民と和解すれば、五輪後に有力な首相候補になれた。しかし、双方ともそれを選ばなかった。となれば、小池氏が新党を設立するのは論理的だった。それは、五輪後の政権取りをというなら今回は30~40で十分だった。ところが、小池氏は来年の総選挙を想定し、そこで、政権取りを模索していた。ところが、突然の解散でそれは無理になった。
一方、民進は蓮舫時代の都議選のときから、小池知事に擦り寄って、一体化を狙っていた。民進党を解党するか連合するのかはともかく、政権復帰のためには、小池知事を首班候補にするしかないというのは、かなりコンセンサスに近かった。政策について、小池知事のタカ派的、新自由主義的傾向と民進党が合致するはずないが、政権欲のためには、折り合いはつくと決め込んでいたのだが、小池知事はこの点については、譲らない姿勢を崩したことはない。
しかし、突然の解散のあと、事態は急変する。民進・自由・社民・共産の選挙協力の話はあったが、迫力はなかったし、前原自身が気が乗らなかった。小池新党は候補者が集まらない。そのなかで、小池新党に細野らが民進党を離党して独自に合流し始めた。
そこで、小池新党と民進党が合流するというウルトラCとなった。これは良さそうなアイディアだったが、根本的な矛盾は、政策的にも党運営でも小池としては、民進党と対等以上の主導権を確保する必要があったのは当然だ。また、東京などですでに希望の候補者がおり、これを外せなかった。
そこで、候補者の選別と、従来の民進党の政策との決別は合流の当然の前提だし、資金を持ってくることや、連合の支援を全面的に持ってくるのは、当然の前提だった。
それでも、希望独自の候補者は足りなかったから、小池は維新の協力を確保して、その代償に大阪では民進の候補者を排除した。また、日本のこころの中山恭子を党内に迎え、自民党の石破茂や野田聖子に思わせぶりな秋波を送った。
一方、前原は、そのキャラクターから、都合が悪いことは、半ば分かっていても、深く考えずに、あいまいに言葉にせずに逃げる習癖がこれまでもあったし、今回もそうだった。候補者の選別と、従来の民進党の政策との決別など論理的に考えれば明白だったのに、全員の公認をめざすというような曖昧な言葉で逃げた。
そして、候補者の選別と、従来の民進党の政策との決別が当然なことは他の民進党議員にとってもよほど馬鹿でない限りは分かるはずだったが、彼らもスルーした。
それは、外されるのが、現職国会議員についてはなんとかしてもらえるか、最悪でも10人以内ですむと思っていたのだと思う。元職や新人の運命など両院議員総会のときには考えない。
こうした段階で希望に参加しないといったのは、逢坂氏だけで、偉いと思う。ほかの議員は、これで生き残れるとよろこんでいたではないか。最左派の阿部知子氏だって、原発ゼロならいいとか、私はリアリストとかいってたし、枝野氏も菅直人氏もよく似たものだった。
ところが、小池は選挙後の党運営を考えて、もっと広汎な排除を要求した。小池の立場からすれば当然だ。そして、この要求を受けての調整を前原はしなかった。私はいくらでも知恵は出せたと思う。
たとえば、党には入れないが、推薦はするとか、選挙区がかち合うなら、比例で遇するとか、比例との重複立候補を認める候補と認めない候補を分けるとか、いろいろある。東京や大阪の新人はお国替えして、比例での当選可能性ありと説得しても良かったもよかった。もちろん、民進の資金で金銭的に始末を付ける事も出来た。ひとことでいえば、不満の分断が可能だったのである。
ところが、前原氏らは曖昧にして諦めるのを待った。また、連合と協力して、収めどころを模索すべきだった。たとえば、排除した中に連合がどうしてものめない候補だっていたから、それは救済してくれと小池と交渉する事も可能だったはずだったがしなかった。
そこで、選挙難民が大量に出て、それが立憲民主党としてまとまることになってしまった。もしかして、前原としては、そういう形で、厄介払いできたのは成功と思った可能性もなくもないが、それにしては、数が多すぎて、日本人の判官ひいきをわき上がらせてしまった。そして、ある意味で人がいい前原らは、彼らの「変節」(彼らもほうしんに賛成していたこと)をといいつのってイメージダウンを図ることもしなかった。
そのために、希望が立憲に負けそうという馬鹿な事になった。
それでは、小池百合子は出馬する気はあったのか?単純にいえば、政権獲得可能性があるとみたら出馬したと思う。そもそも、他人を首相にするためにこんなことしない。ただ、小池自身も可能性が低いと思っていたのだろう。だから、出ないといい続けた。
私は、小池は過半数を目標にするというべきでなかったのだと思う。目標は、自公が過半数割れだが、そうなっても、共産抜きで野党が過半数を取るのは難しい。したがって、そのときは、大連立にせよ、少数与党政権にせよ、過渡期的な政権になると思うので、その場合の首班になるつもりはない。過半数をとる政権がなかったら、短期でもういちど解散になると思うので、そのときは出馬するとでもいうべきだっただろう。
ところが、もし、自分が首相になれるほど躍進する可能性がゼロではないという欲が出て、出馬を否定しつつも、なんとなく含みを残したから変なことになった。
ただし、若狭氏の「次の次」発言が正しかったのかといえば、そうではない。2段階政権論とか格好の良いものにしなかったのが悪いのである。
「現実問題として、私たちが過半数を取れるのは現実的でない。したがって、今回は自公の過半数割れを目標にして、安倍一強を解消するのが目標だ。過半数をとる勢力がないとき、政権のあり方は、話し合いになるのは当然だ。また、参議院で私たちが少数であることも忘れてはならない。そういう意味では、自民党の少なからぬ人たちも納得できる人であることが現実的だと思う。安倍さんは排除するのか?それは、北朝鮮情勢がこういうときだから、それほど長い期間でなく、確実に退陣引退していただけるという約束で、森友・加計問題についても我々が納得できるけじめを付けていただけるならありえなくもないが、安倍さんのほうが嫌なんでないでしょうから、その意味で、現実的でないと思う」
とでも言えば良かったのではないかと思うがどうだっただろうか。