最近、枝野幸男・立憲民主党代表が、「改憲派」であったことが、少しずつ話題になっているようだ。衆議院選挙の中で、リベラル=護憲派のイメージで立憲民主党は「躍進」したことになっているが、枝野代表自身は、自分を「保守」だと自称している。枝野代表が「第三の道」なる改憲案を公表したのは、わずか4年前のことだ。保守を自認する小林よしのり氏が、衆議院選挙中から、一貫して「保守/改憲派」の枝野代表を応援し、選挙後も支援を繰り返し表明していることは、真面目に受け止めてよい。
(小林氏ブログ)「週刊朝日は未だにリベラル=護憲だと妄信している」
安保法制を「立憲主義に違反する」とする立憲民主党/枝野代表の立場は、実は「安全法制は違憲だ」論ではない。立憲主義違反だが、違憲とは言っていない、というのが、枝野代表の発言である。控えめに言って、これはややこしい。護憲派の枝野ファンが、小林よしのり氏が枝野代表を誤解しているのではないか、と思おうとするのも、無理もない。実際、「アベを許さない」「リベラル」「保守」「安保法制反対」「改憲派」の枝野氏の立場は、仮に姑息でないとしても、ややこしい。
たとえば、私は、安保法制は違憲ではなく、立憲主義違反でもないと考えている。全く逆に考える人もいる。しかし、枝野代表は、どちらでもない。立憲主義違反だが、違憲ではない、と言う。ややこしい。仮に姑息ではないとしても。
それにしても驚いたのは、あの長谷部恭男教授が登場し、「すべて個別的自衛権の行使として説明できる」という「従来の政府解釈を憲法に明文化しようとしたもの」だという理由で、2013年の「枝野氏の改憲案」を擁護していることだ。
立憲・枝野代表、実は「改憲」派 “排除”した過去も… 〈週刊朝日〉|AERA dot.
率直に言って、2013年10月に『文芸春秋』に掲載された「枝野氏の改憲案」について、長谷部教授のような描写をすることは、正しくないと思われる。しかし驚くのは、そのことだけではない。そもそも長谷部教授は、従来の政府解釈を明文化するだけなら改憲は必要ない、と考えるため、「アベ改憲は許さない」の立場だったのではないか?なぜ「枝野氏の改憲案」であれば、従来の政府解釈と同じだからOKだ、になるのか?これはダブル・スタンダードではないのか?
アベはダメで、枝野なら良い、らしい。アベは敵だが、枝野は「アベを許さない」同志だ、ということなのか。党派的な対立関係は、明確だ。しかし知的議論の内容は、混乱しているように見える。
2013年論文(枝野幸男「憲法九条 私ならこう変える」『文芸春秋』2013年10月号、126-131頁)において、枝野氏は、個別的自衛権か集団的自衛権かで「線引き」をした旧来の内閣法制局の見解から、明らかに距離を取っていた。
「日米安全保障条約に基づき、我が国に米軍基地が存在しているという実態は、集団的自衛権の「行使」ではないにしても、ある種の集団的自衛と説明するしかありません。そもそも、こうして個別的か集団的かという二元論で語ること自体、おかしな話です。そんな議論を行っているのは、日本の政治家や学者くらいでしょう。」(同上、127頁)
このような立場から出発した枝野氏は、「具体的に、どうしたケースであれば、実際に集団的自衛権の行使を可能とする必要があるのか」という問いを出した。そして公海上の米艦船を助けることを合憲とし、「その他の大部分の集団的自衛権行使」については否定する、という改憲案を提案した。長谷部教授は、これをもって、「個別的自衛権にあたるから合憲だ」と枝野氏が言っている、と解釈するようだ。
だが、それは枝野氏の議論ではない。枝野氏は、「集団的自衛権の一部容認と説明するのか、それとも個別的自衛権として許されるギリギリの限界として説明するのか。説明の方法が異なるだけで大きな差はないと思います」、などと述べていた。
日本政府は個別的自衛権と集団的自衛権が重なることはない、という解釈をとっている。したがって、枝野氏が述べたことが「従来の政府解釈」にそったものなら、枝野氏は、米艦防護が個別的自衛権か集団的自衛権かはわからないが、どちらかではある、しかしいずれにせよ合憲だ、と言ったわけである。枝野氏が、「集団的自衛権ではない、個別的自衛権だから合憲だ」、と主張した形跡はない。
2013年の改憲案論文で、枝野氏は、「後方支援については言及する必要がない」、といって議論の必要性それ自体を退けた。国際法で集団的自衛権に該当するものは「違憲」だ、と考えるのであれば、枝野氏のような態度はとれない。枝野氏は、「私は憲法でタガをはめるべきなのは、実際に我が国が、自衛目的ではない武力行使に踏み切らないようにすること」だと宣言していた。枝野氏は、「集団的自衛権」と「個別的自衛権」の差異には、関心がなかったのである。
2013年枝野論文によれば、「個別的か集団的かという二元論で語る」という「おかしな話」を広めているのは、日本の憲法学者、および憲法学者へのアンケート調査結果で政策を決める政治家だけである。ちなみに国連憲章51条は、個別的・集団的自衛権を包括的に扱っている。2013年枝野論文の見解でよい。
そうした見解で、枝野氏は、解釈を明確にするための「9条の2」「9条の3」を加える改憲を提案したのであった。これに対して長谷部教授は、枝野氏の改憲案は良い、アベ改憲案は「地球の裏側」の活動も認めてしまうので、ダメだと言う。しかし共産党は、枝野改憲案に対して、「日本への攻撃に対する自衛措置としていますが、地理的な限定も示されていません」と批判していた。枝野氏は「公海」の話しかしていない。共産党のほうが、きちんと2013年枝野論文を読んでいると思う。
私個人は、国際法上の概念を不当に軽視するのは、危険なことだと考えているし、個別的自衛権の拡大解釈はさらにいっそう危険なことだとも考えている。だが、それ以前の問題がある。今、私が指摘しているのは、アベはダメだが、枝野なら良い、と言った話を、憲法学者が憲法学者の権威を利用して世間に広めようとしているのではないか、ということだ。もしそうであれば、それは極めて危険な行為だ。
2013年枝野論文を、長谷部教授は曲解し、「すべて個別的自衛権だからできると枝野は言っているにすぎない」、と読み替えてしまっている。意図的に曲解しているのでなければ、「枝野自身がそう言っていなくても、この私、憲法学者の長谷部恭男が、そのように認定するので、枝野はそう言っているということだ」、と言い替えてしまっている。仮にそれで、アベはダメだが、枝野なら良い、という結論が出せるとしても、そこに至る議論の内容は、全く不明瞭極まりない。アベが加憲するなら絶対反対、枝野が加憲するなら全く問題ない、ということだとしたら、それは単なる党派的事情に応じたダブル・スタンダードでしかない。
枝野代表は、東北大学では小嶋和司ゼミに属していたという。(故)小嶋和司は、その優秀さで知られていたが、ウィキペディアでは、その優秀さのゆえにかえって宮沢俊義に疎まれて東大に残れなかった、などと書かれている。ミステリアスな憲法学者だ。小嶋教授の弟子、いわば枝野代表の兄弟弟子に、大石眞・京都大学法学研究科教授がいる。大石教授は、集団的自衛権は違憲とは言えない、と明言する論文を持つ数少ない憲法学者の一人だ。
大石教授の下で学んだ者の中に、井上武史・九州大学准教授がいる。井上准教授は、集団的自衛権は違憲とは言えない、と発言したため、執拗な嫌がらせと脅迫を受け、警察官とともに通勤せざるを得なくなった経験を持つ憲法学者だ。「2013年枝野改憲案」論文は、枝野氏が小嶋教授門下生であることを考えながら読んでみると、よりよく理解できるかもしれない。(ただし、2017年の立憲民主党代表の枝野氏の立場が何であるかは、まだ判然としないのだが。)
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追記になるが、小嶋和司は、非常に魅力的な憲法学者だ。「憲法典の規定から姿を消した緊急権・軍制といった問題(が論じられなくなったのは)・・・、立憲制や国家制度にとってバイタルな意味を持つだけに、学問にとって喜ばしき現象とは考えがたい」、と書き、弟子にも軍制研究を奨励していた(小嶋和司「戦後憲法学の特色」『ジュリスト』1977年5月3日号、小針司「立憲主義と軍隊」『小嶋和司博士東北大学退職記念:憲法と行政法』[1987年])。
興味深いのは、拙著『ほんとうの憲法』で私がとった立場と同じように、宮沢俊義に見込まれて東大法学部第一憲法学講座に招聘された小林直樹によって「通説」化された、日本国憲法には「三大原理」がある(国民主権は一つの「原理」である)、という説を、小嶋が採らなかったことだ。小嶋にとって、「主権が国民に存する」と宣言することは、日本国憲法が「民定憲法」である性格を示している、それだけのことだった。小嶋は、代わりに、三つの「日本国憲法の諸主義」として、「自由主義、戦争放棄主義、国際協和主義」をあげていた。(小嶋和司『憲法概観』(新版)[1968年])。
小嶋の主権論は、日本国内の主権をめぐる議論に関する論説の中では、珠玉だ(小嶋和司「『主権』論おぼえがき<その一>『法学』46巻5号、1982年)。
「明治憲法当時多数説であった『統治権総攬』を『主権』とする立場は、明治憲法典と、その下の精神的風土においてのみ多数説となりえたもので、『主権』の一般的概念ではありえない」(43頁)
このような記述は、もし「三流蓑田胸喜の篠田英朗」が言ったことだったら、「sovereign powerは統治権と訳していい」と主張する憲法学者の方に、即座に斬首されるようなものだろう。
師であった宮沢俊義に対する小嶋の次のような鋭利な文章も、「三流蓑田胸喜の篠田英朗」が言ったら、斬首間違いなしだ。
「宮沢俊義教授は、ポツダム宣言の受諾は『主権』の変更を意味し、『主権』の変更は法律上『革命』とみるべきであるとして、有名な『八月革命説』を述べられた。ポツダム宣言は『日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ』政府形態が定めらるべきことを述べるのみで、『主権』を問題としていないし、その受諾のとき、『革命』の担い手もなければ、『革命』の意識もなかったのにである。この論理において注目されるのは、『主権』概念をもち出し、それを媒介とする論断で、ここでは、その語の権威的印象が、これまた強烈な印象を随伴する『革命』論の決め手とされている。『主権』の語の意味多面性は、それを上手にふりかざせば、望みの帰結を出しうるごとくである。」(7頁)
編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2017年11月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。