米国民は銃で何を守るのか

長谷川 良

米南部テキサス州で5日午前11時半(現地時間)、26歳の白人の男がバプテスト教会に侵入してライフル銃を乱射し、これまでの報道によると、日曜礼拝に参加中の26人が死亡、20人が負傷したという。最年少の犠牲者は5歳、最高齢者は72歳だった。

▲「自由の女神」像(ウィキぺディアから)

ニューヨークのマンハッタンで先月31日、29歳の男がトラックで自転車専用レーンを暴走し、8人を殺害したイスラム過激派のテロ事件とは異なり、バプテスト教会襲撃犯人とイスラム過激派テログループを結ぶ情報は見つかっていない。

教会襲撃事件といえば、昨年7月26日、フランス北部のサンテティエンヌ・デュルブレのローマ・カトリック教会の礼拝中、2人のイスラム過激派テロリストが押し入り、礼拝中のアメル神父(当時85歳)を殺害した事件があった。フランスの教会襲撃テロ事件は、欧州の代表的カトリック教国のフランス国民に大きな衝撃を与えた。

同じことが、テキサス州の教会銃乱射事件でもいえるだろう。信者たちが神に祈り、新しい1週間を始めるために集まった教会の日曜礼拝に侵入し、犯人は無差別乱射したのだ。米国民もショックを受けただろう。

犯人のプロフィールは明確ではない。大量殺害が目的ならば、他の場所でも可能だったはずだが、犯人は地方の小さな村のバプテスト教会を選び、黒色の服を着て、日曜日の礼拝参加者に向かって乱射したのだ。

CNNによれば、犯人は教会地域の出身者ではないという。すなわち、犯人は人口300人余りの小さな村に車で出かけ、日曜礼拝中の教会を襲撃したわけだ。ソーシャル・メディアによると、犯人は無神論者であり、日頃から信者たちを罵倒していたという。
また、犯人は空軍で短期間、勤務していたというが、実戦体験があるのか否かは不明だ。心的外傷後ストレス障害(PTSD)の件もチェックする必要があるだろう。

米国ではネバダ州ラスベガスで先月1日夜、64歳のステファン・パドック(64)が宿泊先の高級ホテル「マンダレイ・ベイ・リゾート・カジノ」の32階から野外音楽フェステイバルに向かって銃乱射し、58人を殺害、500人以上に傷を負わせた。事件は米犯罪史上、最悪の銃乱射事件となったことはまだ記憶に生々しい。

テキサス州のバプテスト教会襲撃事件とラスベガスの銃乱射事件は犯人が現場で死亡したことから、犯行の詳細な動機を知ることは難しくなった。捜査関係者にはパズルを組み合わせるように、小さな事実を一つ一つ探し出して組み合わせていく仕事が待っているわけだ。

米国で銃乱射事件が起きる度に、銃の規制強化の声が出てくるが、時間が経過し、事件の記憶が薄れると、銃規制を求める声は消えていく。銃と米国人のメンタリティ―を指摘する声もある。今回のテキサス州の銃乱射事件でも、教会から出てきた犯人を周辺の住人が自宅からライフル銃を持ち出し撃ったという。ライフル銃を自宅で保持している米国民は珍しくないわけだ。
銃保持擁護者は、「犯人が銃を持っているのに、こちらが無防備だったら、家族の安全をどうして守れるか」と主張する。銃社会となった現在、銃の規制に乗り出すのは、もはや非常に難しいだろう。また、米国の銃関連企業のロビー活動の強さは周知のことだ。

米国は自由な社会だ。やる気があり、能力がある人間にとっては無限の可能性を提供してくれる社会でもある。同時に、社会は病んでいる。行き過ぎた自由のもと、麻薬の乱用、性の逸楽が広がり、ワイルドな資本主義社会は貧富の格差を広げている。社会の隅々で銃が売られている。米国民は自身が享受する自由を守るために銃を手にしているわけだ。世界の超大国・米国の現状は、考えられないほど悲惨だ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年11月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。