地方創生は政府の重点施策である。しかし、なぜ創生なのか。創とは初めてつくることだが、地方は、既に、現に、存在している。もしも、地方創生が真の創生を意味するのならば、現にある地方は消滅するのだろうか。今の地方のあり方は根源的に変わってしまうのであろうか。
おそらくは、創生という言葉は強い政治の意思をもって敢えて採用されたのである。例えば、2011年の大地震の後、政府は決して復旧という言葉を用いていない。復興といっているのだ。全体の構造が守られていて、単に部分に生じた損害ならば、その部分を復旧させればいいが、全体の構造自体が失われたときは、もはや復旧できないわけで、新たに復興するしかない。そして、復興は再興でも再建でもあるまい。復興は、過去へ向けてなされるのではなくて、将来へ向けて新たなものの建設として、創生としてなされるのである。
地方創生を大地震からの復興に近づけてとらえれば、現にある地方の破壊という印象を与える。実際、地方創生という用語を採用したからには、現状破壊を含む抜本的改革を意味せざるを得ず、従来からある地方活性化とか、地域再生とかいうものと一線を画ことになるのである。
さて、地方創生の推進母体は「まち・ひと・しごと創生本部」だが、なぜ「まち・ひと・しごと」の順番なのだろうか。「ひと」がいて、「しごと」をするから、「まち」ができるという順番が素直だろうから、敢えて「まち」から始めるところに含意があるはずだ。
「まち」は、地方自治体として現にある県や市町村ではなく、新たに創生される「地方」なのだ。現にある地方は、新しい「まち」によって否定されるわけではないが、「まち」は、その上に重ねて創生されるもので、次元が一つ上にあるものとして、構成されるのである。
そして、その「まち」が「ひと・しごと」につながるのだから、「まち」とは何らかの経済の主体でなければならない。つまり、行政区画としての古い地方の上に、新しい経済圏としての「まち」が創生されるということである。そういう意味では、「まち」というのは、西洋中世の「都市」のように、経済活動を基盤にした自治組織に近いものになるであろう。
地方創生のなかでは、当然に地方分権や地方自治のあり方が見直されるわけだが、その見直しの視点は経済の独立でなければならない。西洋中世の「都市」が自治組織であり得たのは、商業活動の自治に基づいていたからである。その「都市」の復興こそ、地方創生なのである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
HC公式ウェブサイト:fromHC
twitter:nmorimoto_HC
facebook:森本紀行