もう一度都政を考え直す頃合いが来てるんじゃないかという話

宇佐美 典也

ども宇佐美です。
最近は竹内まりやがマイブームです。

さて私は都民ということもありましてこのブログでも豊洲市場移転問題を始め都政に関するエントリーを多数上げてネタにしてきたのですが、ここに来て「このまま行けば本当に10年後、15年後東京は大変なことになってしまうのではないか」と本格的に都政について危機感というものを覚え、なんだか笑えなくなってきています。

あんまり偉そうなこと言ってはいけないのですが、端的に言って都政の何が一番問題かというと、出てくる政治家のほとんどが「都政を国政への足がかり/通過点」としかとらえていないことが問題なんだろうと思っています。別に政治家のキャリアとして地方政治の先に国政を目指すこと否定はしませんし、むしろそれは自然だと思うのですが、ここ数年は都政と国政の政局があまりにも密接に関係しすぎてバランスが狂ってしまったと思うんですよ。

昨今都政を騒がせて来た、舛添知事なり、小池知事なり、音喜多先生なりといった方々はみな都政を通過点としてしか見ていなかったことは否めないと思っていまして、それが故に功を焦り、浮わついて隣国外交に力いれたり、世論受けを狙って行政を引っかきまわして自ら袋小路に陥ったり、後先考えずにスキャンダルで知事を引き摺り下ろした上で後継知事を誕生させたらまたすぐに裏切ったり、と修羅の世界が展開されているのではないかと思わざるを得ないわけです。

東京には1370万人と日本全体の10%を超える人口がいますから、都民の生活に向き合いその社会の課題の解決に取り組めば、自然と国政との連携やそこに転身する道も見えてくるはずです。ただそれはあくまで地道な政治活動の結果としての道ができるのであって、初めから「都政を国政の通過点」と捉えるのはちょっと違うと思うんですよ。

東京都の政治家はやっぱり都民ファーストじゃなきゃいけないと思うんですよ。

それは東京都の大学の定員増を認めないのは都の利益に反する」とかいうそんな細々とした刹那的な意味合いにおいてではなくて、日本の大都市の代表としての東京があって、そういう東京が崩壊しつつある地方社会の上澄みを吸い上げるだけじゃなく、共存共栄を果たしていくためにはどうすればいいか、というそういう経済的なエコシステムを東京は考えていかなければいけない責任があると思うんですよ。

少子高齢化が進む中で噴き出してくる課題に最前線で立ち向かって「介護職員の人材をどう待遇をあげて確保して生産性をあげていくか」とか、「医療費をどう抑制していくか」とか、「保育園をどのように市場原理を活用して増やしてくのか」とか、「安全保障の観点からエネルギー供給のあり方はこのままでいいのか」とか「消費地として枯渇しつつある水産資源の管理をどうしていくか」とか、そういう日本全体の問題にもつながる将来的な課題に知事や一人一人の議員がリーダーシップなり継続性をもって取り組むことが本来大東京の政治家に求められる役割と思うんですよ。

で、やっぱり今の都知事なり都民ファーストの議員の方々なりにそういうことができることかというとやっぱり無理なんじゃないかと。語弊があるかもしれませんが、どんなに口でかっこいいことを言ったところで、国政の通過点としてしか都政を捉えていなかった都知事とその風に乗った風見鶏たち、というのが彼らの本質であることは間違い無いと思うんですよ。 残念ながら底が知れてしまっている。

とはいえ現実的に彼らが都政にしがみついたら辞めさせる術は無いわけでして、それに、彼らを選んでしまった都民にも責任があることも間違いありません。じゃどうすればいいか、というと大変悩ましいんですが、今更「小池知事に騙された」といって引きずり降ろそうとするのも幼稚すぎますし、やっぱりこの都政の修羅の現状は現状として見つめて心に刻んで、一人一人の都民が次の選挙までに都政というものに対する向き合い方を考え直すくらいしかできないんだと思うんですよ。そしてそれが長期的には一番意味があると思うんですよ。

そんなわけで都民は自らの責任として、豊洲市場移転なりオリンピック開催準備なりの過程でこれから都政に訪れるであろう壮大な混乱と地獄の狭間に落ちていく権力者たちの呻き聲をしっかりと心に刻む準備をしなければいけないんじゃないかと思います。

ではでは今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「宇佐美典也のblog」2017年11月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のblogをご覧ください。